作る人 デザインする人
Cabinet-Maker Designer
椅子の修復をしていると、時にこれはいただけないデザインだな
と、思う時が時たまある。
と、思う時が時たまある。
19世紀の物だと、リージェンシーの時代に流行ったサーベル脚。
古代ギリシアの家具からインスピレーションを得てデザインされ
た物だが、そのうちのあるタイプのもの脚の構造。
た物だが、そのうちのあるタイプのもの脚の構造。
もしくはヴィクトリアの時代の代名詞的なデザイン。フランスから
入ってきたバルーン・バックの椅子の背ずりの構造。
入ってきたバルーン・バックの椅子の背ずりの構造。
18世紀はまだ産業革命後の大量生産以前なので、デザインの
構造的欠陥と言う物はほとんどない。が、強いて言えば
18世紀後半に流行ったフレンチ・チェアーと呼ばれるタイプの
椅子の座枠と背ずり(背柱)の接続部であろう。
構造的欠陥と言う物はほとんどない。が、強いて言えば
18世紀後半に流行ったフレンチ・チェアーと呼ばれるタイプの
椅子の座枠と背ずり(背柱)の接続部であろう。
デザイン書に3つのスタイルが記されている。
ゴシック、中国風そして、モダンと呼ばれたフレンチ・ロココ。
ゴシック、中国風そして、モダンと呼ばれたフレンチ・ロココ。
それ以前のイギリスのデザインと言えば、質実剛健、直線を
基軸とした物。曲線がデザインに入ってきたアン女王の時代
の物でさえ、構造的にはしっかりしたものであった。
座枠の貫に補強の為にカット・ネイルと呼ばれるハンドメイドの
釘が打ち込まれている。本来は3本入っているのだが、貫上部
の濃い色の部分は後から継いだ新材の為釘は無い。
フランスでは釘の代わりに、木のダボが真っ直ぐ3本入ってい
るのをよく見かける。
この椅子、座面は四角と言うよりは丸。
赤の矢印は木目の方向。写真下側の前側の脚に対しては木目は
真っ直ぐ前足へ入る。ところが後ろ足へのほぞは木目に対して
斜め方向。ショート・グレインと呼ばれ、斜めに木目に沿って裂け
やすくなる。
それゆえの釘であり、ダボである。
実際、修復でばらばらにする時、このほぞ壊れることが多い。
家具史においてある時点までは家具製作士とデザイナーが
同一であった。
つまり木の事を知り尽くしている人間がデザイン
する訳で、あまり無法なデザインは自分の経験上出て来ない。
自分自身の経験値にもよるのだろうが、自分で作れない物は
デザインしないと言う事である。
かなり曲線を多用したヘップルホワイト時代のこの椅子。
イギリスではフランスの流行を模倣しただけだろうが、本国
フランスでこういうデザインが出てきたのを見ると、実は
デザイナーと言う職業がきちっとこの時代に確立したのでは
ないかと思えてしまう。
釘やダボは製作者側の苦肉の策と言う訳だ。
実際は、ルイ15世下の時代、女性が強かった時代で、彼女
たちからのリクエストに製作者が何とか応えというのが本当
の物でさえ、構造的にはしっかりしたものであった。

座枠の貫に補強の為にカット・ネイルと呼ばれるハンドメイドの
釘が打ち込まれている。本来は3本入っているのだが、貫上部
の濃い色の部分は後から継いだ新材の為釘は無い。
フランスでは釘の代わりに、木のダボが真っ直ぐ3本入ってい
るのをよく見かける。

この椅子、座面は四角と言うよりは丸。
赤の矢印は木目の方向。写真下側の前側の脚に対しては木目は
真っ直ぐ前足へ入る。ところが後ろ足へのほぞは木目に対して
斜め方向。ショート・グレインと呼ばれ、斜めに木目に沿って裂け
やすくなる。
それゆえの釘であり、ダボである。

実際、修復でばらばらにする時、このほぞ壊れることが多い。
家具史においてある時点までは家具製作士とデザイナーが
同一であった。
つまり木の事を知り尽くしている人間がデザイン
する訳で、あまり無法なデザインは自分の経験上出て来ない。
自分自身の経験値にもよるのだろうが、自分で作れない物は
デザインしないと言う事である。

かなり曲線を多用したヘップルホワイト時代のこの椅子。
イギリスではフランスの流行を模倣しただけだろうが、本国
フランスでこういうデザインが出てきたのを見ると、実は
デザイナーと言う職業がきちっとこの時代に確立したのでは
ないかと思えてしまう。
釘やダボは製作者側の苦肉の策と言う訳だ。
実際は、ルイ15世下の時代、女性が強かった時代で、彼女
たちからのリクエストに製作者が何とか応えというのが本当
の所の事情だろう。
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