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2015/02/18

洋家具雑考 その4 <続>

The beginning of Western Style Furniture in Japan part 4 <continued>

Peabpody_essex
1800年前後に作られたと思われる、蝋色漆塗りに螺鈿装飾のナイフ入れ。

前回に、デザインから想像される、その由来を推測してみた。が、その当時の残された日誌等を読んでいくと、どうらやその推測は全く違うのではないかと思わせる。

出島で漆器を購入して帰った2隻のアメリカ船、フランクリン号、マーガレット号が来たのは、1799年、1801年。その頃の、バタヴィア(現ジャカルタ)にあるオランダ東インド会社の本署は火の車。フランス革命後のバタバタで本国が無くなり、かろうじて業務を続けている状態。給料ももしかすると滞っていたかもしれない。

実際、出島の商館長の給料はあまり高くなかったらしく、商館長の福利厚生の一つである私貿易での利益の方が高かったという。

2隻のアメリカ船にしても、アメリカ独立戦争の友軍でもあった縁で、バタヴィアで急遽雇われた船。そのナイフ入れの雛形がアメリカから持ち込まれたと言う事は100パーセントありえなく、仮に、バタヴィアから積み込んだ荷物のその私貿易分の中に、忍ばせてあったにしても、出島に滞在中の約4か月の間に、その構造を吟味し、コピーすることは可能だとは思えない。

さらに、そのフランクリン号のデヴルー船長が買った量。形状ははっきりしないがナイフ・ボックスを22個購入している。
アメリカ、マサチューセッツ州にあるピーボディ・エセックス博物館に残る他のイギリス・デザインと思われるの半円のカード・テーブルも6台購入してることを考えると、デヴルー船長が出島に来た1799年には、このイギリス・デザインの家具達は既に作られていたと考える方が自然なように思える。

では、誰がこの雛形の家具を持ち込んだのか??

1822年にその当時の商館長ブロンホフの江戸参府に随行した一等事務官のフィッセルが残した日本滞在時の記録にはこう書かれている。


Photo商館長ブロンホフ・ファミリー。家族がいることを考えるとバタヴィアで描かれたのか。

昔から決まった型に対しては、彼らは一定の適切な価格表を持っている。しかしながら、もしも彼らに対してごくわずかばかりでも変わった型のものを欲しいと申し出ると、たちまちアッと言うほど高値になるのである。それで注文するに当たっては、非常に繊細な注文をつけなければならない。というのは、彼らは苦心してヨーロッパの型に倣おうなどとはつゆほども思っていないので、そのため彼らの嗜好に委ねてしまうと、その作品は通常全く台無しにされてしまうのが普通だからである。一般的に言っても、彼らの見事な作品が、外国人の手の中で光彩を放つかもしれないことになるかも知れぬことを妬ましく思っているかのように、彼らに対してヨーロッパの雛形を提示しても、それが彼ら自身の考案になる作品と同じように立派にまた巧妙に仕上げられることを期待することは絶対に出来ないのである。

なんかすごい言われようではあるが、実際そうだったのであろう。そう考えると尚更、このイギリス・デザイン完全コピーのナイフ入れはかなり異例であるのがわかる。

1800年に書かれた出島に来たマサチューセッツ号の船長付きの書記官クリーヴランドが残した日誌を見ても、ある程度自由に出島から出られるのは船長のみ。商館長にしても、単身赴任で、バタヴィアの本署と一年に一回の定期連絡のみ。会社も下向き、その低い給料を持って何故、イギリス・デザインのナイフ入れを作らせたのか。


蘭癖(らんぺき)と言う言葉がある。今の言葉で言うと、オランダ・マニアとでも言うのであろう。この当時有名だったのは薩摩藩主の島津重豪。1787年の家督を譲り隠居した後も、実質的な藩主であり続けた。その頃、商館長に赴任したのがヘンミー(Gijsbert Hemmij)。彼は1792年から98年江戸参府の途中で亡くなるまで出島に住み、その重豪とも親交があり、2人で密貿易をしていた(?)程の仲。死因はその密貿易が絡んでいると言われてた。

2歳しか年の違わない40代後半のおじさん2人。重豪がヘンミーに送る為に作らせたと仮定すると、意外に多くの事が腑に落ちる感じがするのは私だけだろうか。

○この当時の薩摩藩は螺鈿盛んな琉球王国を支配下に置いていた。

○ジャンクと呼ばれる清の貿易船が出島とカントン(現広州)を行き来していた。
○カントンでは英国東インド会社が清との貿易を独占していた。

日本人にとっては、ヨーロッパの家具はヨーロッパの家具。オランダ・デザインも、イギリス・デザインも同じだったに違いなく、カントンから運ばせた家具の完全コピーを作り、螺鈿の装飾を施し、ギフトとして贈るつもりではなかったのではないか。デザインは完全にヨーロッパだが、南蛮漆器のようにデザインを目いっぱい施すのではなく、大きく空白を取った螺鈿で装飾。いかにも和風のような感じがする。

なんて仮説も成り立つような気がするのだが。


出来ることならば、現存するこのカテゴリーの家具の材料を調べてみると、意外な結果が出てくるかもしれない。材はヒノキだろうが、金属の金具部、錠や蝶番、釘、螺子の金属組成等を調査したら面白いだろうなあと思うのである。

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