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2015/07/26

「金・銀・銅の日本史」

「金・銀・銅の日本史」

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日本の文化はよく木の文化だと言われる。

その言葉の通り古くから残る多くの建物は木造が多く、昔から残る遺物でも木製が多かったりする。

実際、鉄が大陸から輸入され始めたのは、紀元前3世紀頃。その歴史自体は古くとも、製鉄技術の未熟さなどにより本格的に鉄が使用されだすのは鎌倉、室町時代を待たねばならなかったようだ。

さて、金、銀、銅。まず思い浮かぶのは青銅として銅の使用であろう。柔すぎる銅の強度を補う為や鋳物などの時の融点を下げる為などに錫を加えた青銅は奈良の大仏にも使われている。ちなみにこの頃の銅は国産のものである。


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そもそも、スタートは全てが大陸からの輸入に始まり、鉱山の発見、採鉱、製錬、精錬と第1の技術の獲得、そこからさらに第2の技術である、もっと精巧な形状、機能性の追求、仕上がりの出来の良さと進んでいく。

銀・銅に関しては奈良の大仏に見られるように、その当時にはすでに技術は第2に移行しており、少なくとも飛鳥時代には第1の技術は取得していた。金に関しても、東北で鉱山が発見され、そこで産出された金が藤原氏の中尊寺金色堂にふんだんに使われたことは有名。

家具史上で金属が出てくるのは、釘としての鉄や錠や飾りマウントなどの真鍮。
(以前は、飾りマウントは青銅製と言われていたが、最新の科学技術により、金属組成が分析出来るになり、実は青銅より黄銅と呼ばれる真鍮のほうが近いと言う事がわかった。)

日本で銅と亜鉛の合金である真鍮が一般的に登場するのは種子島の鉄砲伝来以降と言われる。ヨーロッパでも18世紀の中頃、新しい真鍮の精錬方法が発明され、亜鉛の含有量が多い物が作れるようになった。

つまり、真鍮の金属組成を調べると、亜鉛の含有量の多い少ないである程度の製造時期の特定が出来ると言う事である。

多くの歴史上の銅合金は鍍金の土台にされてきた。銅と金の密着の相性の良さによる。家具の飾りマウントも鍍金を施されているものが多い。

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現在の金メッキの技術が確立するまではマーキュリー・ギルディングと呼ばれる方法が使われてきた。水銀と金のアマルガム(柔らかい合金、水銀が常温でも液体状な事による)を鍍金したい躯体には毛などで塗り、火にかけ、水銀を蒸発させると、金が躯体上に残るという方法。

上の写真のように、蒸発させた直後は金の粒子がただ表面に付着しているだけなのが見える。それをヘラ磨きという工程を経て、初めて、艶が上がる訳で、一つ一つが多くの工程を経て製
品になっていると言う事。

鋳物についても、同じでロスト・ワックスと呼ばれる方法で砂型を使って物を作っても、その後研磨やチェイシングと呼ばれる細かい彫りの作業をしないと綺麗な仕上がりにはならない。

出来た製品は、外側は綺麗だが、裏側を見ると色々な物が見えてくるといるというはこういうことである。

作者の村上氏は元奈良文化財研究所上席研究員、現京都美術工芸大学教授。歴史材料科学を専門とする。工芸品をデザインなどの芸術的側面ではなく素材や製作法などから新しい切り口からとらえるといことは、新しい科学技術の発展と共に新しい発見をもたらしてきた。

一読して思うのは、まだまだ知らないなあと言う事。それ故に、面白かった。違う切り口で歴史を紐解くと全く違う事実が見えたりする。

個人的にはもっともっと分析機器等が廉価になればいいと思うのだが、まだまだ一般の会社にとっては高嶺の花。しかし、これから先もまだまだ新しい発見があることを期待できるのではないかと期待するのであった。

「金・銀・銅の日本史」
村上 隆著
岩波新書
岩波書店



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