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2015/10/14

延遼館の椅子

A Chair from Enryo-Kan

ZESHIN」としてのほうが世界的に名が知られているであろう柴田是真。江戸末期から明治にかけて活躍した漆工師であり画家でもある。昨年も、是真の作品をかなり国内に持っていた三隅コレクションがロンドンで競売にかけられれ海外に流失してしまったことは記憶に新しい。

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一番目玉だった、「雪中佐野蒔絵額」が85万ボンドで落札。1ポンド200円で単純に計算しても1億7千万。びっくりである。是真人気を再確認させられた。

以前行われた展覧会の図録を読んでいた時に面白記述を見つけた。


"そうした是真が、最初に皇室御用を請けたのは、明治二年(一八六九)二月のことである。椅子三十脚に黒蝋色塗桜花蒔絵を施す御用であった。門人庄司竹真(一八五四~一九三六)が代理で出頭し、細工場が手狭なる故をもってその場で辞退したが聞き届けられず、一脚ずつ納めた。"
(原文ママ)


明治政府がイギリスのアルフレッド皇太子を海外からの貴賓客として迎えるにあたり緊急に整備された浜離宮内の延遼館。これが政府によって初めて作られた迎賓館。内部の障壁画は狩野派の手による。

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5月に落成をしているので、タイミング的には是真が塗った椅子30脚がこの延遼館の為に製作された可能性は高いのではないかと思われる。

10年後の1879年のアメリカのグラント将軍との会談時にも、黒蝋色蒔絵の物が使われているのが見られる。

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その後、鹿鳴館が出来た際に多くの延遼館の家具はそのまま移動されていて、その後も色々な場所で使用されているようである。

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1895年の下関の春帆楼で行われた清との講和会談時にも延遼館や鹿鳴館で使われた物が持ってこられたようである。

この手の蝋色塗でビクトリア時代のバルーンバック・チェアーを模倣した国産の椅子は4種類ほどしか存在しない。

その中で桜花が描かれたものは、鹿鳴館で使われていたという現在博物館明治村が所蔵する椅子しかない。

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1995年に発行された「日本の木の椅子」という本には、デザイナー、製造ともに不明との記述、2013年に横須賀美術館で行われた「日本の木のイス展」図録では作者は不明だが、1887年製造の記述。

現在の博物館明治村のウェブサイトには塗師・矢島銀次郎、
蒔絵師・熊澤半造と書かれている。

最初の30脚は是真が塗り、その後数がもっと必要で作られた物は上記の2人が塗ったのだろうか??

どれも、実際の資料を確認した訳ではないので一概には何も言えないが、明治村がかなりの量のこの椅子を持っているので、全て張地を剥がして比べてみると、構造の違いなんかが実は見えるかもしれないなんて思ったりもする。


これが是真の塗った椅子だったらかなり面白い。





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