嗚呼、故郷へ
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事の始まりは、2010年、英国南部の港町プリマスで始まる。
その街のオークション・ハウスに出展された一つの漆器の箱。
説明書きには、
"Chinese lacquered writing slope with harbour decoration Lakwerker Sasaya 48cm wide"
「中国製漆塗りライティング・スロープ、港の場面の装飾あり、漆業者 笹屋、48cm幅」
予想落札価格は30から50ポンド。
良くある、オークションの一場面。
その漆塗りのライティング・スロープが再び登場するのは、その年暮れのロンドン、ボナム・オークション・ハウス。
今では、かつての世界の4大オークション・ハウスの中で唯一ジャパニーズ・アートのオークションを行っている2つのうちの1つ。
恐らくは、笹屋の銘に気付いたコレクターが購入。
これが、18世紀後半から19世紀にかけて出島を経由して、海外に輸出された日本の漆器と気付いたのでしょうか。
ロンドンのボナムに持ち込まれます。
カタログの説明書きには、しっかりと、
「非常にレアな海外輸出向けの漆塗りライティング・ボックス、笹屋製、18世紀後半」。
アメリカのピーボディ・エセックス博物館に似た物がある事、笹屋の銘を冠した銅板プラークやセクレテールが存在することが付記されます。
これが、3600ポンドプラス25パーセントの手数料で落札。
それが、オランダのディーラ―に買われ、翌年のカタログに掲載。
時代は19世紀の前半に修正され、蓋の港の場面は、オランダで1782年に発行された図版を模しているとのこと。
そして、笹屋の名が入った輸出漆器は4点程しか存在しない事。
その形式としては、
海戦図を描いた銅板プラーク物。
もう一つは、
セクレテール。西洋式縦型書箪笥。
そうすると、このライティング・スロープにも笹屋の銘が入っているとすると、新たな3番目の形式ということになる。
その後、無事長崎の長崎歴史文化博物館に購入されたようで、この箱の長い旅は故郷で終着点を迎える。
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