Furniture History Society Annual Symposium
第41回家具史学会年次シンポジウム
先週末、ロンドンのウォラス・コレクションで家具史学会の年次シンポジウムが開催された。
プログラム→
今回のテーマは、新古典主義時代のギルト・ブロンズ。家具というよりは、メタル・マウントと呼ばれる、装飾のパーツ。
昨年から行われていた、ニューヨークのフリッツ・コレクションでの展覧会
"Pierre Gouthière: Virtuoso Gilder at the French Court"、
現在行われているパリの装飾美術館の"OR VIRTUOSE À LA COUR DE FRANCE. PIERRE GOUTHIÈRE",
ウォラス・コレクションで行われている"Gilded Interiors: French Masterpieces of Gilt Bronze"
に呼応する形で行われたこのシンポジウム。講演者は、上記の各展覧会からのキュレーターやフランスだけではなく、他のヨーロッパの国々(イギリス、オーストリア、スペイン、ロシア)の報告も含め、かなり国際色豊かな物となった。
現在行われているパリの装飾美術館の"OR VIRTUOSE À LA COUR DE FRANCE. PIERRE GOUTHIÈRE",
ウォラス・コレクションで行われている"Gilded Interiors: French Masterpieces of Gilt Bronze"
に呼応する形で行われたこのシンポジウム。講演者は、上記の各展覧会からのキュレーターやフランスだけではなく、他のヨーロッパの国々(イギリス、オーストリア、スペイン、ロシア)の報告も含め、かなり国際色豊かな物となった。
上でも出てくるピエール・グチエーは、18世紀後半、ルイ15世、16世に仕えたギルト・ブロンズの制作者である。
いまだに、習慣でギルト・ブロンズと呼んでいるが、実はギルト・ブラス。鍍金された真鍮である。科学的にも証明されているのだが、昔からの馴染んだ呼び名はそうは変わらない。
グチエー、フランス宮廷鍍金士でありながら、ついこの間まで名前を忘れられていた存在。あくまで家具の装飾である黒子役。家具作家などに比べられると、以外に名前が残らないのかもしれない。
さらに、フランス革命前の王族に愛された宮廷作家は意外にそうだが、革命前後に破産、貧困の中で亡くなっていくというパターンが多いので、そのイメージがあるのかもしれない。
ルイ15世の公妾、デュ・バリー夫人に才能を愛されたグチエー。
グチエーの作品は、フランス以外の国の王室のコレクションにも多く残っている。
シンポジウムの後半は、海外の顧客とその影響がテーマとなった。
海外から購入したものを参考に、自国で作らせるというのは、人間の性であり、どの時代でもある常套手段。殖産興業の一環。それによって、国内の需要の発展、ひいてはそれを輸出となれば儲けもんである。
ロシアでは、グチエー作品に限らず、フランスのデザインを模倣した国内製品が多く存在する。
そこで上がった一つの疑問。
例えば、グチエーは、国内向けの作品と海外輸出用の物を同じように作っていたのだろうかという事。
日本の俗にいう輸出漆器では、輸出向けの物は、国内のテイストと違い過ぎて完全に外国人用というものが多い。それ故に、あまり多く日本国内に残っていないのだが、、、。
ヨーロッパ人と日本人ほどは大きくないが、同じヨーロッパ内でも多少の差、モチーフの違いや好みの柄が当然あったに違いないと、個人的には思うのだが。
ヨーロッパという塊で安穏としてしまうと、意外と見えてこない視点なのかもしれない。
どちらにしても、フルな一日であった。
ヨーロッパという塊で安穏としてしまうと、意外と見えてこない視点なのかもしれない。
どちらにしても、フルな一日であった。
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