クリヤラッカー
Clear Lacquer
ラッカーという言葉は、曖昧である。
英語でも、日本語でもそうだが、ラッカー仕上げという表記を見るが、何をもってラッカーと呼んでいるのかはっきりしない。
購入する分には、あまり気にはしないが、修復という観点で見ると、それがいったい何なのかを、きちっと知る必要がある。
旧東宮御所、現赤坂迎賓館が、一般公開がされている。
とは言っても、以前行っていた年に数日の限定のではなく、迎賓館として使用していない時は、一年中いつでも極力公開という、大判振る舞い。
私が行った時は、丁度朝日の間の天井絵画の修復の為、この部屋だけは入ることが出来なかった。残念。
これが、明治維新後、西洋建築を学び、40~50年余りで建ててしまった事に驚き‼
こんな、桐の紋の意匠が使われていなければ、ここが日本であることを忘れてしまうぐらい。
正面の門。ペンキがかなり厚塗りで見えずらいが、良く見ると制作会社のサインが刻まれている。
"SCHWARTZ & MEURER PARIS"
「シュワルツ・アンド・ミューラー社 パリ」
明治39年に購入している。なんと111年も前。完全にアンティークと呼べる一品。
所々に錆が浮いてみるのを見ると、大々的な修復が必要ではないかと思われる。
この赤坂迎賓館が、元々の役割から、迎賓館に生まれ変わった大改修が行われたのは1969年。5年の歳月をかけた大改修。
かれこれ、50年ほど前になる。その為か、2009年より館内の天井画の修復が徐々に進められている。
この間、朝日の間が見れなかったのは、こういう理由だった訳だ。
大改修から50年余り、勿論天井画だけでなく、色々なところで補修の必要があるのだろうと思われる。勿論自分の専門の家具も含めて。
公開されている部屋の一つ、彩鸞の間。
その趣は、東宮御所として建てられた当時とほとんど変わらない。
特に、奥の壁沿いにあるペアのキャビネットは、この当時のフランスからの輸入品。
かれこれ、50年ほど前になる。その為か、2009年より館内の天井画の修復が徐々に進められている。
この間、朝日の間が見れなかったのは、こういう理由だった訳だ。
大改修から50年余り、勿論天井画だけでなく、色々なところで補修の必要があるのだろうと思われる。勿論自分の専門の家具も含めて。
公開されている部屋の一つ、彩鸞の間。
その趣は、東宮御所として建てられた当時とほとんど変わらない。
特に、奥の壁沿いにあるペアのキャビネットは、この当時のフランスからの輸入品。
この部屋の家具は帝政様式と呼ばれるマルケトリー等の表面装飾は控えめ、マホガニー材を基調に、金で飾っていく、ぱっと見ゴージャスなスタイル。
このキャビネットも、マホガニー材に鍍金金物で装飾されているはず。
しかし、現実には表面塗装が経年変化で白っぽくなり、下の綺麗なマホガニーの色は一切見えない有様。最初の状態は、フレンチ・ポリッシュで仕上げていたのではと思うのだが。
1977年に編纂された「迎賓館赤坂離宮改修記録」によれば、もともと東宮御所時代に作られた家具のうち597点が補修され迎賓館で使われたようだ。
家具は、表面を剥離されクリヤラッカーを塗布されたとある。
ここで、最初の命題に戻る訳で、
「クリヤラッカーとは何?」
いまでこそ、ラッカーと言えばアクリルラッカーを指すが、その昔はニトロセルロースラッカーのことを言う。
19世紀前半に発見されたニトロセルロースをベースに作られた塗料で、1880年頃からは家具の表面塗装でも見られる。
ただ揮発性の高い溶剤を使う事、可燃性の高さから、1970年代にアクリルラッカーに取って代わられた経緯がある。
が、キャビネットの経年変化を見る限りは、改修当時使われたクリヤラッカーはニトロセルロースラッカーではないかと思うのだが。
ちなみに、手で強く表面を擦ってみれば樟脳の匂いがするのですぐ分かる。しかし、流石に手に届く場所にはなかった、、、、。
天井画に限らず、家具もぜひ平成の大改修で修復して欲しいなあと、個人的には強く望むのである。
(東宮御所時代の写真は宮内庁公文書館より借用しました。)
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