蔵春亭三保造
Zousyun-Tei Sanpo-zou
江戸末期の長崎、出島からの輸出漆器。
黒漆に螺鈿細工、伏彩色に裏からの銀(錫)張り。
18世紀の末から現れる一連の輸出漆器群。京都で作られ始め、次第に長崎でもと言うのが定説だが、輸出向けに作られただけあり、時代を特定する基準となる作品が著しく少ない。
この小箱開けてみると、、、、、
2つの、化粧瓶のような酒瓶のようなものが入っている。オリジナルの西洋の形の物を考えると、恐らくはティー・キャディと呼ばれる、紅茶を入れておく箱からのインスパイアに、日本のアイデアを加えたものと思われる。
瓶の蓋には、「蔵春亭三保造」の銘が。
九州陶磁文化館のHPによると、1841年(天保12年)に有田の豪商、久富与次兵衛が、佐賀鍋島藩藩主の鍋島直正から与えられた屋号「蔵春亭」をブランド名に、欧米好みの製品を開発し、長崎に支店を置いて海外輸出に乗り出したとある。しかし、1856年(安政3年)に、財政難により、その権利を有田の商人、田代紋左衛門に売り渡しているので、「蔵春亭」の銘は、1841年から1856年にしか使われていないようだ。
仮に、この磁器がオリジナルであれば、その漆器がいつ作られたかある程度の目安になる。
他にも、瓶が1つの棗のような形の物や、2つ入り可動式バージョンや3つ入りなんてのが存在する。
この螺鈿箱が、長崎で作られていた。それが故に、そこに支店があった佐賀の「蔵春亭」が発注を受けたというのは、理にかなっているように聞こえるが、実は長崎にも磁器の窯元があったりする。
上の3つ入りバージョン。瓶の蓋の上には「平戸製三河内」の銘が。
絵柄のパターンも、同じようにしか見えない。一般的に、出回っているのは「蔵春亭」バージョンなので、「蔵春亭」が作り始める前か後に少しだけ生産されたものではないだろうか。
まだまだ、調べてみる余地はありそうだ。
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