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2020/03/31

江戸後期輸出漆器概論その1(仮)

Introduction of Export Lacquer in late Edo Period Part 1 (Draft)

 

 1693年にオランダ東インド会社の公式文書からオランダ本国向けの

日本製の漆器の輸出の記録が無くなって以来、18世紀を通して、

日本製の漆器は、特にキャビネットや箱物等の大型の家具は、

あまりヨーロッパ市場に出回らなくなった。そもそも、イギリス

東インド会社とは違い、社員の私貿易を公に認めていなかった

オランダ東インド会社。日本からの要望により、出島経由の私貿易は

認められていた割には、現在これが18世紀の輸出用に作られた漆器と

きちんと判断出来る物があまり骨董市場には多くは残っていない。

その反面、清からのジャンク船による清国経由によって日本国内向け

の漆器が多く流出した時代でもあった。

 


その証拠に、前世紀に輸入された輸出漆器が、切り刻まれ、その時代

のヨーロッパの家具の装飾に使われると言う事例が数多く存在する。

と同時に、母マリア・テレジアから受け継いだマリー・アントワネット

の日本漆器のコレクションの様に、輸出向けではない漆器による個人

のコレクションが多く形成されている。

 


その18世紀後期までの日本の輸出漆器に特記すべき2つの西洋の形を

模したものが存在する。

一つは椅子。

Chair

18世紀初頭のイギリスのアン女王時代より流行した形の椅子。俗に

言う、クイーン・アン様式。壷の形をした背ずりにカブリオーレ脚。

脚先にはボール・アンド・クロウの彫刻。典型的な、18世紀前半の

組み合わせ。その椅子に、高蒔絵、平蒔絵で装飾が施されている。

 

確かに、そのデザインがオランダに渡り、オランダ人も植民地で家具

を作らせてはいるが、ここまできっちり作りきらせてはいない。

その点では、かなり早い段階から、清の広東にデザイン・モデルや、

職人を送り込み家具を作らせていたイギリス東インド会社には残念

ながら及びそうになはい。実際、椅子の躯体自体は、作られている

木材から推測するに、大陸で、恐らく広東の工房で作られたもの。

それが、出島経由で日本の工房に持ち込まれ、装飾されて、持ち帰

られた特別注文品なのだろう。現存はこの一セットが知られるのみ。

ばらばらになり、ほとんどが各国の博物館に所蔵されている。

これは、イギリスのアッシュモーリアン博物館蔵の一脚。

 

そして、もう一つは、ナイフボックス。

Knife-box

 これも同じように、蝋色漆に、金を主にしたで平蒔絵。18世紀前半

のジョージ1世、2世時代の形の物。イギリスの物は大概、エイの皮

が装飾に貼ってあることが多い。脚は、先ほどと同じくボール・

アンド・クロウ。もともとこのデザインは、清から来たもので、

ヨーロッパでの、中国趣味のシノワズリ―のブームと共に持ち込まれ

てきた人気のモチーフの一つ。このタイプのナイフ・ボックスは、

種類が案外多く、半円形、蓋が斜めになっている基本の形は変わら

ないが、装飾方法、サイズや飾り金具が少しづつ違うバージョンが

存在する。

 

これは、イギリスのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館蔵の物。


この2つが、その時代のヨーロッパで流行した形に摸されている為、

確実に18世紀前半、もしくは、それ以降に作られた物と言える。

恐らくは、私貿易の個人の注文の為なのか、残っている数が圧倒的に

少ない。

 

ここで疑問が浮かび上がる。どちらも、イギリスの家具意匠を基盤と

して製作された物という事。オランダ東インド会社とイギリス

東インド会社はライバル関係だったと思われる。が、18世紀の中ごろ

には、広東からの紅茶が、一番の輸出品になると、その地で各国の

商館が、並んでいたので、仕事上のコンタクトがあったという事な

のだろう。18世紀の中頃ぐらいから、その紅茶を買うための資金繰り

に難航するオランダ東インド会社は下がり調子、その反面イギリス

東インド会社は、インドからの綿花、アヘン、武器で、紅茶を大量に

買いつけるお陰で右肩上がり。その辺のひっくり返った力関係がこの

需要を産み出したと言えるかもしれない。

 


この時代の、物の海上輸送にはかなりのリスクが伴う。実際、

イギリス東インド会社の長い歴史の中で会社所有の船、約500隻の

うち、200隻は沈んだとされるている。それでも、椅子の様に、

作らせた椅子をわざわざ日本まで送り、漆を塗らせて、また持って

帰って来るというのはとてつもない労力の様に思われるが、

ヨーロッパで日本の漆器が、清製の物より上物であったとの認識が

あったことを考えると、あり得ない話ではない。

 

 

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