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2020/04/20

江戸後期輸出漆器概論その8(仮)

Introduction of Export Lacquer in late Edo Period Part 8(Draft)

 

後発の青貝屋(武右衛門)については、長崎で輸入品の落札に当たっ

た関係で長崎貿易の経営に関わっていた三井家より資金借用をしてい

たという事で、公益財団法人三井文庫に青貝屋関連資料が大量に残っ

ている。先学の勝盛典子氏の研究のお陰で、かなり多くの事が判って

きている。(ドゥーフが江戸へ行く途中で、青貝屋に初めて注文した

という事実もを含めて。)

 


青貝屋は、輸出漆器に関わり始めた1806年から1850年まで京都で

漆器を製作していた。青貝屋以外にも、小間物屋の株を持っている

出島出入りの業者は4,5社あったらしい。脇荷勘定帳、

阿蘭陀人注文覚などが残っているので、阿蘭陀人の脇荷貿易の注文

の品(青貝屋に対してのみだが)がわかること。面白いのは、

1844年に脇荷物掛として来たフランス人のデルプラット。

山水画よりも花鳥画のデザインを好んだ為、前任者ビツケルの注文

の山水画を塗りなおさせたという。1841年から有田の豪商、

久富与次兵衛が「蔵春亭三保造」のブランド名で作り出した青貝細工

と有田焼の組み合わせ。花鳥デザインの派手目な伏彩色は、もろ

デルプラットの好みだったに違いない。

2_20200420171801

 

 

そもそも、以前の輸出漆器とは違った伏彩色の青貝細工がドゥーフ

に気に入られて、輸出漆器に関わりだしたと想像される青貝屋。

山水デザインだとあまり伏彩色は使われないので、デザインはもと

もとは花鳥画だったと想像出来るのだが、誰が注文するかによって

趣向がかなり変わったことが伺える。そのデルプラットが、寄贈し

たとされる出島図がパリ海事博物館に残っている。伏彩色はほぼ

無く、屋根の青、壁の白を、上手く違う種類の青貝で表現している

良品である。

1_20200420171801

「長崎和蘭陀屋舗図」を元にしたとされる構図。1798年の出島の

火事の前の絵が使われている。

 


アムステルダム国立博物館ピーボディ・エセックス博物館に残る

出島図は、どちらかというと丸山応挙の「長崎港之図」の構図に

近い。時代的にはかなりばらつきのある3図だが(パリ海事博物館

の物は1840年代、アムステルダム国立博物館の物は1820年代、

ピーボティ・エセックス博物館の物はダービー船長寄贈の物1800

年代とされる)、どの図とも、伏彩色を用いない初期の頃のような

違う青貝による淡い表現装飾が使われている。

 


ファン・レーデの銘の入るプラーク、膝机のように、やはりその

下図を使って、注文に応じて再び作ったという事だろうか。

デルプラットが、来日した1844年の「仕呂物引合帳」に

「掛け板 四箱」と言う記述が残っている。パリ海事博物館にはその

パネルの箱も残っているので、彼が(もしくは他の誰かが)あと3枚

買ったのだろうか。ただし、これは注文の合計の数なので、残念なが

ら、青貝屋に発注したとは限らない。個人的には、むしろ、この時

まで商売をし続けているササヤの物ではないかと思うが。

 


青貝屋は、このデルプラットの我儘で、更に商売が成り立たなくなり、

最終的には小間物屋の株を売り払い、この出入り商人の中からは消え

ていく。

 

 

その9へ

 

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