江戸後期輸出漆器概論その6(仮)
Introduction of Export Lacquer in late Edo Period Part 6 (Draft)
そもそも、オランダ商館員が、バタヴィアやヨーロッパに脇荷貿易と
して持ち帰り高値で売れるのは、着物(絹製)、焼き物、漆器の順番
だったという。比較的単価の安い焼き物は、大量の清産が広東から
輸出された為、清製と質的にあまりの違いない日本製は、そんなに
実入りが良かったとは思えない。(量的にもあまり持って来られ
ない)漆器は清製よりはましと言っても、現存するものを見る限り
は、大量注文が絶えずあったとも思えない。
19世紀初頭頃までと思われる大型の輸出漆器は、必ず原型が存在し
ている。似てると言えるレベルではなく、飾り金具も含めて完コピに
近い出来である。ただその数多くない原形の形に、今ではあまり
見ないものが含まれるが故に、過去の研究者を惑わせてきたの
ではないだろうか。
膝机やアメリカに持ち帰られたカード・テーブル、
トリポッド・テーブルなどは、ある程度長い期間作られていた形な
ので今現在も似たものを確認するのはたやすい。その反面、
ナイフ・アーンやセクレティア、ダービー船長が持ち帰ったとされ
るドレッシング・キャビネットなどのデザインの寿命が短いもは、
作られた数自体が少なく、骨董市場にも多くは残っていない。
それ故に、このデザインはどこから来たのかという疑問に繋がっ
たと考えたほうが自然である。
ナイフ・アーン、面白い形である。蓋を上に引っ張ると、ナイフ
が出て来るなんて不思議な構造である。18世紀前半に見つかった
ローマ時代の遺跡、ポンペイ、ヘルクラレウムの発掘を機会に
始まった新古典主義。グランド・ツアーと呼ばれ、イタリアを
最終目的地に、ヨーロッパの貴族の子弟がこぞって出掛けた。
その中の一人が、スコットランドの建築家ロバート・アダムで
ある。その彼のデザインに登場するこのナイフ・アーン。
サイドボードの両脇のペデストールの上に乗っている。これは
1788年発行の家具作家のジョージ・ヘップルホワイトの
デザイン・ブックから取ったもの。新古典主義派と呼ばれる
アダムのデザインは、古典をベースにした大仰なものが多い。
このデザインも、世紀末に向かって、シンプルな物へと移行し
ていく。
10点余り現存する、青貝細工のナイフ・アーン。2種類の形が
確認出来る。丸型と八角形型。飾り金具も、それぞれに同じ
デザインなので、もともと2種類が持ち込まれたのだろう。
その。丸型、八角形型の中から、発見された京都の木地師清友
の墨書き。その漆器が、京都で製作された事と共に、両方とも
同じ工房で作られたのだろうという事が確認出来る。
このセクレティアと言う家具の形。優れモノである。多目的家具の
走りである。パッと見ると、独り者にはもってこいの一品。上の
2枚扉の上は鏡張りで、ドレッサー替わり。真ん中のフォールと
言う部分を引き開けると、書き物机に、下に箪笥の引き出し。
これに椅子一脚あれば、あとはベッドしかいらないぐらい。華美
だったフランス・ブルボン王朝が倒れた後の、アンチテーゼ的に
生まれた実用性が高く、シンプルな家具群。一般に
ディレクトワール様式と呼ばれる時代の物。ナポレオンが皇帝に
なった後は、当然ながら家具も華美なものが流行ったので、
本当に短い期間しか作られず、残念ながら現存する輸出漆器と
まるっきりの同型の家具は確認出来ない。一番上左右飾り柱の
意匠違ったりはするが、飾り金具を含め現存する4台は、
まったく同じデザインのようである。
(3台しか確認出来てないが)
このドレッシング・キャビネットも癖のある形である。一見すると、
西洋家具を模した出来損ないにしか見えない不格好な家具である。
しかし、この家具を、この当時に多く作られた、船乗りや海外へ
赴く軍人用にデザインされた従軍家具と考えると納得がいく。
膝机と同じように運ばれることを前提としているので、なるべく
四角く、取っ手などは出っ張らないように気が使われている。
1788年にイギリスで発行された家具デザイナー、
トーマス・シアラーの家具のプライス・ガイドの図版に似たよう
な、ドレッシング・キャビネットが掲載されている。デザインの
物は、蓋式だが、その隣の両側に開くタイプを組み合わせて注文
したとしたら、まるっきりピーボディ・エセックス博物館の所蔵
しているものと同じになるというのに気付く。
数は多くないが、似た物もまだ骨董市場で見ることが出来る。
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