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2020/05/06

江戸後期輸出漆器概論その11(仮)

Introduction of Export Lacquer in late Edo Period Part 11(Draft)

 

文献的な調査としてはオランダ側のオランダ東インド会社関連資料、

日本側の長崎出島関連資料や江戸参府時の定宿「阿蘭陀宿」関連資

料など、ここ25年ほどに調査され、かなり色々な事が判明してきた。

しかし、一つの発見により大きく全ての根底を変えてしまう事が、

ままある。


この時期に輸出された漆器に関しては、故オリバー・インピィ氏が

1998年に発表したナイフ・アーンの内側から木地師の墨書きを発見

したこと、に尽きると思う。その頃まで、その青貝細工を主とする

輸出漆器群は長崎で作られていたと仮定されていたものが、一気に

ひっくり返ったのである。そして、その後の研究により、それが裏

付けられた。文献的資料は、その時代のすべてを網羅して残ってい

るわけではないので、隙間は推測で埋めていくしかない。歴史とい

う、もう過ぎ去ってしまったことを扱う時は、いつもそうだが、そ

こに、不確定要素が入ってしまう理由がある。しかし、その歴史の

狭間から残され、守られてきた現物達は一発で事実を目の前に提示

してくれる事がある。


今、先人による研究(日本側の残された資料からによる研究と

ヨーロッパの側の現存するコレクションとオランダ東インド会社の

資料からによる研究)が、ある程度落ち着いてしまったようにみえ

る。しかしながら、ここ10年、まだまだ新しい新出の輸出漆器が

骨董市場を賑わしている。博物館などに収蔵されているものも含め、

現存するもの達を集合的に、科学的に分析する手法はまだ本格的に

は実施されてはいない。物理的、経済的や地理的な問題という大き

なハードルが存在するので実現するには難しい。実際の話、現物を

持っているものは強いと言う事実がある。結局、物を持ってないと

その物の研究すら難しいという現実に直面してしまう。


そもそも、輸出漆器は、輸出される前提で作られたものであって、

その西洋の形をしたそれが日本に残っていることはあまりないはず。

それ故に、日本の博物館にも例があまりなく、一般的に誰も知ら

なかったという過去がある。その後、神戸市立博物館

長崎歴史文化博物館国立歴史民俗博物館の尽力で、日本の博物館

のいくつかでは目にすることが出来るようになった。近年では、

ササヤの銘を持った膝机が日本に無事に里帰りしたのは記憶に新

しいことである。


さて、この集合的な分析によって、この時期の輸出漆器の何か新

しい側面を見せてくれるのではないかと期待が出来る。例えば、

出島が描かれている物。木製のパネルや煙草箱で使われている図柄

の集合的な分析。使用している材木の調査は、非破壊検査では不可

能なのであまり現実的ではないが、金属や顔料に関しては蛍光X線

分析法が使うことが出来る。分析の数を実施する事で、何かしらの

傾向が掴めるかもしれない。東京文化財研究所関連の文献で唯一、

いくつかの蛍光X線分析法を使った分析報告がされているだけであ

る。


錺金具も、調査の対象としては面白い。もともと持ち込まれた雛形

がインドで作られた物の為か、この時期の輸出漆器で使われている

錺金具は銅で作られ鍍銀されているものが一般的である。本来、銅

は柔らかく、蝶番などの負荷のかかるところには向いていないの

だが。

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ネジ、ネジの使用は基本的に存在しない。様々なサイズの平頭の

釘が使われるが、丸釘と角釘の2種類が存在する。物によっては、

使用用途も判らずヨーロッパのネジを模した一文字のスロットが

浅く彫られていたりする。(もちろんドライバーで使えるほど深

くはない。)


錠なども基本、銅製である。ただし、中のばね部分、稼働する

パーツのみ強度の為か、真鍮が使われている。箱などの蝶番はほ

とんどがストップ・ヒンジと呼ばれる、開けた蓋部が真上から少

し行き過ぎたぐらいで止まるように作られた特別な蝶番が使われ

ている。イギリスなどのものは、真鍮鋳物に鉄合金のピンで作ら

れているので強度的にも強い。が、日本製の物は、普通の銅製の

蝶番(ピンは鉄合金に見える)に薄い銅の平板を溶接して作って

あるので、残っている現物の中では蓋の重みの負荷に耐え切れず

破損しているものを多く見る。

5_20200506105901

「蔵春亭三保造」のブランドで佐賀県有田作られた磁器を中に収

められた漆器群。意外と多くの種類が存在する。地場産業として

考えれば、恐らくは、漆器自体も九州(長崎?)で作っていたと

想像出来る。そこで使われているストップ・ヒンジは溶接されて

いる平板が厚く、壊れにくい構造になっている。九州の工房と

京都の工房では当然ながら抱える木地師や錺金具師は違うのでは

ないか。そう考えると、こういった構造の違いが、その漆器が

何処で作られたかを見極める要素になるかもしれない。


ライデン国立民族博物館に収蔵されている青貝細工の枕。国内

向けのデザインに見える一品。1845年から出島の商館長を務め

たレフィスゾーンの収集品の一つである。そこに使われている

引き出しの小さなつまみとその座金は真鍮で作られている。そ

もそも、真鍮は銅と亜鉛の化合物。清からのジャンク船や、

オランダ人によって輸入された亜鉛を使うことで江戸時代に作

られるのが一般的になった。初めは京都が生産を独占し、

1787年の真鍮座廃止後は、新たに大坂、江戸の業者が参入した

とされる。そう考えると、真鍮製のつまみは、京都の錺金具師の

製作と想像出来ないだろうか。

4_20200506105901

大概の箱物には錠がついている。江戸時代には和錠と呼ばれる

タイプが存在していた。しかし、扉に据え付けの物ではなく、

扉に固定されているリング状の物に、ピンを通し鍵をするとい

携帯式のもの。家具で使われるような扉に固定式の錠は、試行

錯誤で作ったに違いない。その錠、大概がタンブラー式と呼ば

れるいたって原始的な錠である。しかし、鍵は何の金属で作ら

れていたのだろうか。博物館などに所蔵されているものも鍵が

ついているのをほぼ見たことがない。明治期と思われるもので

は小さな鉄合金鋳造製の鍵がついているものを見かけたことが

あるが、江戸後期の物はどんなものであったのだろうか。

3_20200506105901

エスカッチョンと呼ばれる、鍵穴周りの錺金具も、一つの時代の

目安の指針となりそうである。初期の頃の物で多いこのデザイン

のエスカッチョン。もしくは、ササヤの銘を持った膝机のような

俗に言う鍵穴の形のタイプ。どちらもプレーンである。

2_20200506105901

これもプレーンなタイプ。それが、テーブルの脚の様に、次第

に華美な日本的なデザインへと変容していく。植物をかたどっ

た、松、桐、牡丹や扇形。菱形や八の字型に何の彫りもない無

骨な物。さらには、こうもり型なんてものまである。大概の

エスカッチョンは、ヨーロッパの物と違って、ネジや釘で固定

されているわけではなく裏側の爪が躯体に向かって折り曲げて

あるだけなので、意外に外れやすく無くなっているものも少なく

ない。摩耗の為か、鍍銀が剝げ、こけた銅色であることが多い。

1_20200506105901

特に初期の物に関しては、同じエスカッチョンを持つ物を並べ

てみると、傾向が似ていることに気付く。恐らく、

ドゥーフ商館長の時代、青貝屋が進出してくる前後の物。そう

いった意味では、ササヤ銘の膝机と同じエスカッチョンを持つ

物は、ほぼササヤ製とみなしても良いように思うのだが。ただ

初期のいくつかの工房が、全て京都にあったとすると、同じ

錺金具師を使っていた可能性も否定出来ない。
錺金具のデザインや素材を、集合的に分析していく事で、それ

ぞれの産地や、それぞれの工房が、屋号までは特定出来なくと

も、ある程度分類化される可能性は大いにある。それによって、

長崎製、京都製の違いなどについて、新しい側面が見えるので

はないかと思われる。

 

 

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