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2020/06/14

Qing Lacquer Needlework Table part1

清製の黒漆塗りニードルワーク用の作業テーブル その1

 

Dsc08751

 

「Export Japanese Lacquer」という英語の言葉に対して存在する

「Export Chinese Lacquer」のカテゴリーに類するテーブル。

チャイニーズという不確かな言葉を含め、オランダ東インド会社が、

取引した日本の物、イギリス東インド会社が育てた漆器群。1600年

に設立されたイギリス東インド会社ではあるが、17世紀中頃のイギ

リス国内の革命の動乱で落ち着いて中国大陸に進出したのは国が清

になってから。主にエキスポート・チャイニーズ・ラッカーと呼ば

れるのは清製である。

 

クロムウェルのピューリタン革命以降落ち着いたイギリスは、また

イギリス東インド会社に注力する事が出来るようになった。種子島

へのポルトガル人の来航以来、ポルトガル人、スペイン人、オラン

ダ人、イギリス人と日本の漆器に目をつけ、作らせ、ヨーロッパに

持ち帰ったお陰で日本製の漆器は、すっかりトレンド入り。

 

それに対する対抗馬として育てられた清製の漆器群。キリスト教の

禁止、鎖国で日本との貿易から締め出されたイギリスとしては、あ

る意味苦肉の策だったに違いない。イギリス東インド会社は、図面

、デザインを送り、家具そのものを送り、家具職人までもを送り込

んで清の職人達を育てていった。そのかいもあり、イギリス国内の

家具組合が正式に、自分達の作ったものが売れなくなると抗議した

ほど。

 

しかし、ヨーロッパでの紅茶の需要がオランダ東インド会社が扱う

コーヒーを凌駕するようになると、磁器と紅茶の組み合わせで主に

輸出されるようになる。船の積み方は重さとバランス。軽すぎる紅

茶の箱は重い磁器の箱でバランスをとる。真ん中に磁器の箱を置き、

その周りに緩衝物として紅茶の箱を周りに並べると方法で、ヨーロ

ッパまでの長い航海を耐え抜いていった。

 

そういう状況で18世紀を通じて、新しく作られた漆器群は日本、清

ともそんなに多くはなかった。作られていても、デザインは今まで

の踏襲で黒の蝋色漆に平(高)蒔絵。これは19世紀まで一つの主流と

して続いていくが、1780年代から始まった出島経由の漆器群による

影響で清で、その対抗として新しい表現の漆器が生まれている。も

ちろん、オランダ人が持ち帰ってきた日本の漆器を見たイギリス人

が新しくアイデアを持ち込んだことは想像に難しくない。

 

Dsc08755

 

蝋色漆がバックグランドに平蒔絵は同じ形式なのだが、意匠は花鳥

的な物よりは、人物や風景、建物を金と銀が混ざった青金の消し粉

を使って描いたものが多い。例はこちら

 

鍵穴の周りの菱形のエスカッチョンは真鍮製。日本製と違い、銅で

はなく真鍮がふんだんに使われている。

 

Dsc08729

 

裏を見ると、釘やネジで固定されるヨーロッパの物と違い、内側に

折り返されて固定されているのが判る。材は、クスノキ。暖かい国

に多い木を食べる虫に強いためだろう。

 

Dsc08730

 

錠自体も真鍮製。タンブラー式と呼ばれるシンプルな錠である。

 

 

その2へ

 

 

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