大丸飯臺修復プロジェクト その2
Project ' Large Round-top Dining Table' #02
さて、その1の続きになるが、そのヘット・ロー宮殿にある大飯臺の天板。周りに
は、蒔絵で松葉をモチーフにした環状のデザインが天板外側に施されている。直に
見たことはないので、100%ではないが、他のテーブルでも使われている。
このテーブルは、以前イギリスのディーラーが持っていたものだが、昨年ヨーク
シャーのオークションで落札されたもの。
外側は同じでも、内側は、風景画ではなく、花鳥画が採用されている。庭の孔雀に
牡丹。どうも系統としては、ヘット・ロー宮殿の普通テーブル的である。緑の支柱
であり、その下の箱型の部分に金彩で縁取り。ただし、脚はボール・アンド・クロ
ウではなく怪獣脚。プロジェクトのテーブルとも同型である。
他には、同系統のテーブルはないかと探して見つけたのが次の2点。
ネット上で見つけた、あるディーラーが持っていた物か。大飯臺の様に見える。天板
のデザインは、状態が悪く、風景画か花鳥画かはっきりしない。支柱はヘット・ロー
宮殿普通テーブルの物に近似。ただし、脚は上のテーブルと同系怪獣脚である。
もう一点は、1999年にオークション大手のサザビーズで落札された物。
高さを除けば、限りなくヘット・ロー宮殿普通テーブルに酷似している。カタログ
では、ビクトリア時代の物で黒檀仕上げとなっている。まだまだ、この手の出島経
由の輸出漆器が認識されていない頃。色はわからないが、同類の風景画に鳳凰の天
板のデザインから見て、同じ工房、同じ時期に作られたものとみて間違いない。
デザインに関して、財団法人三井文庫が所蔵している弘化2年の「青貝屋武右衛門
殿取替銀相談之覚 唐物方乍恐奉願上候工場口上之覚」に、脇荷物掛りのビツケル
が好んだデザイン(山水模様)が、新しく来たデルブラツトに花鳥草花に替えなきゃ
買わないと駄々をこねられ、泣く泣くやり直した、という記述がある。
弘化2年は1846年。この時を境に、天板のデザインが風景画から花鳥画に変わった
という事は十分にありうる。それと同様、支柱のデザイン、脚のデザインがクロス
オーバーしている。
そう考えると、このプロジェクトの大飯臺、1840年代の後半から50年代にかけて
作られたのではないかと推察される。
興味深いのは、色が塗られているように見える部分。色漆が使われているのか、もし
くは、この頃に使われていた乾性の桐油やえごま油に顔料を混ぜた物か。また、ヘッ
ト・ロー宮殿の大テーブルの様に、蝋色漆で塗られていた上から、ヨーロッパで塗装
が施されたという可能性も排除できない。
その3に続く
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