大丸飯臺修復プロジェクト その1
Project 'Large Round-top Dining Table' #01
江戸時代後期の輸出漆器概論については→こちら
江戸時代後期の輸出漆器において、大型の丸飯臺(台の古い漢字)が、登場するの
は比較的あとの事のようである。私が知る限り、天保7年(1836年)のオランダ側
の資料「納入者によってオランダ賃借人に引き渡された商品のリスト」に、記載
される青貝屋から3台、笹屋から3台が初めての物である。
その時に、サイズ明記の無いただの丸飯臺も3台づつ引き渡されているので、大
サイズと普通サイズの2種類あった事が判る。
公的なコレクションに存在し、知られているものは、オランダのヘット・ロー宮
殿に所蔵されている大一台、普通一台のみ。仮に、1836年から20年ほど毎年作
られて、出島から輸出されたとしても、240台のテーブル。そのくらいの数だと
すれば今では、実物になかなかお目にかかる機会は少ないだろう。
この飯臺は、スペイン・マドリッドのオークションに出た物。今回のプロジェ
クトの、主人公である。
決して、程度は良くない。が、輸出漆器の特徴をしっかり残しているのが判る。
まず、他の知られている飯臺と比較して年代を推察してみたいと思う。
見るべきポイントは3つ。
1.天板の青貝細工のデザイン
2.支柱のデザイン
3.脚のデザイン
一番基準になるのが、ヘット・ロー宮殿所蔵のの2台。
特に、上の写真の普通サイズの方は、オランダ・ハーグ生まれの画家H.F.C.テ
ン・ケイトが1849年に描いたウィレム3世のお妃ゾフィーの部屋の中に描写さ
れることから、それ以前にオランダ国内にあったことは間違いない。
また、そのテーブルは、彼女の義理の祖父にあたるウィレム1世が、1838年
にハーグの日本物を扱う店から買った2つのテーブルのうちの1つではないか、
と推測されている。ゾフィーは1839年に、孫であるウィレム3世と結婚して
いるので、孫の嫁の為のプレゼントとすると辻褄が合うから。
素晴らしいのは、その当時の物と思われる色が判る事。
支柱部のパームの木を模した部分の緑色やその下の金彩と思われる部分は、今
の現存の物の色と比べると特に鮮やかである。
天板の青貝細工は風景画。
もう一点の物は、サイズ的に大丸飯臺だと思われる。
こちらも天板上は、風景画。ただし、支柱周りのデザインは違い、シンプル
な挽き物に下の部分はハアザミ(アカンサス)の葉の彫刻が施されている。葉
こそ緑で塗られているようだが、あとは蝋色漆で塗られているようだ。
その2に続く
« Corner Washstand | トップページ | 呉鎮守府司令長官官舎(現入船山記念館)のアーツ&クラフツ »
« Corner Washstand | トップページ | 呉鎮守府司令長官官舎(現入船山記念館)のアーツ&クラフツ »
コメント