雑記

2021/03/21

呉鎮守府司令長官官舎(現入船山記念館)のアーツ&クラフツ

Arts and Crafts in KURE Naval District Commander's Official Residence

 

 

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家具道具室内史学会では、色々な講座を開いている。会員、非会員共参加出来

るので、一度は参加してみたいと思いつつ、タイミングが合わず実現はしてい

ない。それが、コロナ禍の状況でで、この第11回講座が、実際の参加型ではな

く、オンラインで開催された。

 

PDF形式の資料をダウンロードし、動画を視聴する形。

 

世界中で海外渡航が自粛されている今、パリのルーブル美術館でも、オンライ

のヴァーチャル・ツアーが企画されていると言う話を聞いたり、これからも

こういうタイプが増えるので、国外からでも参加しやすくはなるが、やっぱり

実際に見るのとでは違うかな、と思ったりする。

 

この広島県、呉市にある呉鎮守府司令官官舎、現在は入船山記念館として市の

管理下にあるようである。ここも、他の戦前の洋館と同じく、ほぼまったく家

具が残っていない。

 

講座自体は、

 

1、金唐紙

2、司令官官舎の家具復元

3、復元された室内

4、モリス商会

 

金唐紙といえば、上野の旧岩崎邸で見たのを思い出した。

 

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この1905年に建てられた建物。設計者は桜井小太郎。若い時に、アーツ・アン

ド・クラフツ運動の真っ最中のイギリスで学んだことによりその薫陶を受けた。

 

唯一残る家具が、イギリス製らしいということから、家具は輸入物だったと結論

づけて家具の復元をしているが、実際はどうなのだろうか。

 

イギリスの世紀末から、エドワーディアン期のインテリアは、かなりごちゃ混ぜ

である。本当に古い物、古い物を模倣したものと新しいものが混じる。ただ、ウ

ィリアム・モリスの壁紙を貼って今うような家主が選ぶインテリアは、古典趣味

的には違いない。

 

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以前見た、ウィリアム・モリスの壁紙を思い出した。ピーター・ラビットの産み

の親ベアトリクス・ポッターさんの家のインテリア。家具は、ゴシック調である。

 

来月の4日までは、アクセスできるので興味のある方は是非。

 

第11回講座「呉鎮守府司令官官舎のアーツ&クラフツ」

 

 

 

 

2020/02/16

THONET

トーネット(イギリス人はかなりの人がソーネットと発音するが)

 

 

トーネットが昨年、生誕200周年を迎えた。

 

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かなり昔だが、この業界に入った頃、曲木といえばトーネットと信じて疑わなかった。

確かに、私が働いていた店でも、まだ半数以上の曲木はトーネット製だった記憶

がある。

 

ヨーロッパ大陸に行くと、曲木の家具の少なさに驚く、そして、見つけても

驚くほどの高値がついている。戦火の舞台となったヨーロッパでは、あれだけあった

曲木家具も生き残った物が少なかったんだという事を感じる。

 

ここ最近のアンティーク・フェアでも、曲木の椅子を発見してもトーネット製である

ことはほとんどない。

 

 

ドイツのボッパルトで、創業者であるミヒャエル・トーネットが工房を構えたのが

1819年。

 

しかし、彼の運命が大きく動き出すのは、ウィーンに移住してから。

 

そのせいもあって、昨年はドイツのミュンヘンで回顧展。

(すでに終了、、、。)

 

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そして、個人的にはトーネットの聖地であると思っている

ウィーンのMAK応用美術博物館でも、展覧会が行われている。

(こちらはまだ会期中。)

 

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私が、MAKを訪ねたのは数年前の事。

家具だらけで、お腹一杯になったことを覚えている。

 

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見たことのない、古いトーネットの椅子がずらりと並ぶ。

 

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現行のトーネット社の日本代理店にオフィス家具のプラス社がなったという事

を聞いた。昔の定番の復刻でもなんか面白いことやってくれないかなと

期待してしまう。

 

 

やっぱり曲木はいいなあ、と思ってしまった。

 

 

 

 

 

 

2020/01/26

Papier-mâché Table

パピエ・マッシュ・テーブル

 

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パピエマッシュという技法は、あまり日本では馴染みがないようだ。

 

あっても、人形の頭の部分であったり、マスクであったりと小ぶりなものが多い。

そもそも、紙が原材料であることやそれを積層にするのにいちいち乾かさなければ

いけないこと等、基本的には大量生産には向いていないのも事実。

 

それが革命的に変わるのは、18世紀の後半にヘンリー・クレイさんが、

糊と小麦粉の混ぜたペーストを塗ったぼろ紙を10枚ほど重ね、金属型で成形した

あと、亜麻仁油にざぶっと付け、それを530度のオーブンで強制乾燥させる

という方法。

 

そこに、その頃の日本の輸出漆器の様に、黒いオイルもしくはアルコール・ベースの

ワニスをかける。

 

19世紀初頭には、出島からの輸出漆器の影響もあって、青貝細工の装飾物

が増える。

 

そのヘンリー・クレイさんの工房を丸ごと買い取ったジェニン・アンド・ベットリッジが

今までお盆や小箱ぐらいしか作ってなかったパピエ・マッシュで大型の家具を作って

いく。

 

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ジェニン・アンド・ベットリッジ製の大型ソファ。

座面下枠、脚は木製。上部分がパピエ・マッシュ製。

 

このテーブルもそんな一つ。

 

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天板は、折り畳み式。

天板、脚部のもこもこした部分はパピエ・マッシュ製。

脚の挽き物の支柱部分、もこもこに付いた脚先部が木製。

 

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このもこもこシェイプは、実は空洞。

支柱が入るところだけ、木の部分が糊付けされていている。

 

確かに、漆製と言われれば、そう見えないこともない。

 

現に、これもややこしいことに、ジャパンとかラッカーとか言われている。

 

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天板には、ベネチアの風景画。

真ん中に見える白い塔はサンピエトロ寺院ディカステッロのベル―・タワー。

 

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金彩に、青貝は良く見られる装飾。

 

ただ、和物にしては過剰装飾なので見間違えることはないと思う。

 

 

ちょっと調べてたら10年ほど前にも書いてたパピエ・マッシュ

 

 

 

 

 

 

 

2020/01/19

REVERTABLE

リヴァーテーブル

 

ちょっとした時に、外に持ち出せる簡易テーブルは、いつの時代でも便利なものだ。

 

ビクトリア女王の時代にカードゲームは、大人にも子供にも最も人気のある余興の一つ。

 

折り畳み式、軽いタイプの物が、日の長い夏の夜に外に持ち出されて、人々に

楽しい場を提供していたに違いない。

 

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このテーブルも、そんな一つ。

天板は、欠き込みにスライドして入れてあるだけ。

 

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天板外すとこんな感じになる。

真ん中がダボで接合されている二つの木枠組が、閉じる。

 

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そこに、取っ手のようなでっぱりに、上からポンと天板を置くだけ。

 

反対側はこんな感じだ。

 

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木枠の上の部分のフックを止めることによって、脚枠組が閉じることを防ぎ、天板が落ちない様になっている。

なんてことはないシンプルな作り。

 

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木枠に釘で止められた名前プレート。

 

「REVERTABLE」リヴァーテーブル

戻るとか、逆戻りするとかいう意味の「revert」と「table」との造語。

 

特許番号があるので調べてみると、

 

Diagram

 

1932年に、マンチェスターのウイリアム・ヘンリー・ジョーンズさんが特許をとっている。

製作されたのはその後か。

インターネットでサーチすると結構出て来るので、人気がありかなり売れたに違いない。

 

あと10年ほど経つと立派なアンティーク。

が、そんなに値段が上がるとは思えないが、使い勝手がいい一品である事には間違いない。

 

 

 

 

2019/09/22

Drapers' Hall

ドレイパーズ・ホール

 

今年も、オープン・ハウスのイベントがロンドンであった。

以前書いた気がするが、少し細かい所を見てみた。

(ドレイパーズ・ホールの詳細は→こちら)

 

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こんな冊子をもらった。

凄く、詳しくホールの歴史が書いてある。

 

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紋章の下のモットーは新約聖書のテモテへの手紙の中の一文から来ているようだ。

 

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グリーン・ドローイング・ルームの天井。1860年代に装飾された部屋。その当時のほとんどの物がそのまま残っている。家具は、その頃の流行りでもあった、明るめのウォルナット製で統一されている。

 

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その部屋にある、マーブル製の暖炉。

 

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良く見ると、羊が彫られているのが判る。今では、ドレープと言うと、ドレスの襞の事などを指すが、本来は生地その物を指す言葉。英国ではその生地の原材料ウールをとるための羊は、大事にされたという事だろうか。

 

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椅子の背ずりにも、羊のデザインのマルケトリが見られる。

 

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ロングケース・クロックの一部。

良く見ると、一年のカレンダーになっている。

1715年に購入されたとあるこの時計。一度ゼンマイを巻くと、一年間動き続ける。

ダニエル・クエアー(Daniel Quare)の製作。

王室御用達の時計メーカーだったクエアー。ハンプトン・コートの為に作られた逸品が大英博物館に収蔵されている。

 

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ここのメインホールである、リブリー・ホールの天井画。

このホールには、ウイリアム3世以降の王様(2人の女王を含む)の肖像画がずらっと並び、思わず天井は見逃しがちになる。

 

以前訪れた場所でも、詳細を、ちょこちょこ見ていくと、また新しい発見があったりする。

 

 

 

 

2019/08/05

Artificial Fireworks

人工花火

 

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紙のラベルには、「アーティフィシャル・ファイヤーワークス」の文字がある。

 

人工の花火って何??

 

良く見ると上には、クロマトロープ(Chromatrope)。

下には販売元の、ロンドン、リージェント・ストリートにあった「カーペンター・アンド・ウェストリー」。

 

カーペンター・アンド・ウェストリーは光学機器専門の店。1808年創業。気圧計や顕微鏡、カレイドスコープや温度計なんかを扱っていた。もともとバーミングハムにあったものが、マジック・ランタンと呼ばれるプロジェクター・タイプの機器で一財を無し、1826年にロンドンに移転してきた。

 

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マホガニーの板に、2枚の丸い手書きのガラス板が、ハンドルを回すことによって一枚が時計回りに、もう一枚が反時計回りに回り、人口な花火のような模様が見える、と言うのがこの人工花火。

 

一般には、クロマトロープと言ったほうが通じるか。

 

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ハンドルを回すと、滑車の紐がガラス・ディスクを回す。

 

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手書きで書かれた模様。

 

これを太陽にかざしてみると、、、

 

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何とも今の時代には、チープな感じがしてしまうが。その後、メカニズムが発展したラッチシステムが発明され、ディスクが自由に交換出来るようになり、さらにいろいろな花火が見れるようになったらしい。

 

ヴィクトリア時代の子供達には、大人気だったに違いない。

 

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こんな感じで見えるのです。下の絵をクリック。

 

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2019/07/27

文化財を守るという事

To Protecting Own Cultual Heritage

 

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何かきな臭い話になってきた。

 

今月の初めに、ロンドンで競売にかけられた3000年前のツタンカーメンの頭像。500万ポンド近くで落札された。その競売のカタログの表紙になっているように、その日の目玉。経済的価値だけでなく、歴史的、美学的においてもまさに一級品。さらに、競売前にエジプト政府から公式に競売の中止の要請というおまけまで付いていた。

エジプトの考古学者は、この像が1970年代にカルナック宮殿から「盗まれた」ものではないかとみている。

 

盗まれた、と言うより分捕ってきた過去を持つヨーロッパ。大英帝国を誇ったイギリスは、多くの物を持ち帰ってきている。イースター島のモアイ像やギリシャのパルテノン神殿のマーブル彫刻の石板などは、いまだ公式の返還要求が来ているが、イギリスが応じることはなさそう。

 

アンティクイティと呼ばれる古代の遺物は、所有者がはっきりしないため国が文化財を守るための条例を法制化しない限りは守ることが難しい。

 

古代遺物骨董商協会は、古代遺物を「政治化」することには断固反対するという声明を出した。エジプトは国策として、エジプト由来の遺物には、どんなものにでも返還要求を出すとも。

 

ナポレオンのエジプト遠征以降、多くの物がエジプトから持ち出されてきた。そのエジプトが政府として、古代遺物の輸出禁止の法令を施行したのは1983年。それ以前に持ち出され、過去にも展示された事があるという事実を踏まえるとエジプトの言い分も、法的にかないそうもなさそうである。

 

日本でも今年初めに、文化庁が所在不明の文化財を公開捜査に踏み切ったという記事があった。果たして、それがどこにあるのか、海外に転売されていたらどうするのか。エジプトの事は、まったく関係のない話ではないのである。

 

重要文化財は基本的に、海外への持ち出し禁止だが、ただの文化財はどうなのだろうか? それが持ち出され売買された場合どうなるのであろうか。売り人である元所有者は処罰を受けるだろうが、買い手である新所有者は??

 

必要なのは、お金であり、人である。結局のところ、どこまで、国が、地方自治体が突っ込めるかという話である。外国人旅行者の増加を受けて、文化財の活用が叫ばれている今日この頃、自分たちの過去を、未来の為に守るにはどうすればいいか、本気で考えないといけない。

 

 

 

2019/05/19

旧開智学校

The Kaichi School

 

昨日の朝、携帯の新聞に目を通すと、あの「旧開智学校」が国宝になるという記事が載っていた。

 

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明治以降の建造物としては、「旧東宮御所(現迎賓館赤坂離宮)」、「旧富岡製糸場」に続く3件目となる。

 

明治時代は、和的な物から、西洋的な物の受容と言う文化的な転換期/移行期であり、悪く言えば、明治的な物イコール和洋折衷的というイメージがついて回る時代。

 

しかし、数十年で、西洋の文化を吸収、消化し、日本の物として昇華させたこの時代の物は、もっと評価されるべきと多くの声があったというのは確か。

 

江戸時代の終わりから、外国人建築家が招聘され多くの西洋式建造物が建った。しかし、それはあくまで外国人居留地の周りだけの話であり地方には縁遠いことであった。しかし、明治政府の国策による明治5年の学制発布により、地方に西洋館が続々と立つことになる。あくまで疑似洋風式ではあったが。

 

長野県には、開智学校が作られる前年に中込学校が作れている。静岡、山梨、長野の3県は全国でも最も盛り上がった県であったようだ。いまだに現存する当時の学校が多く残っている。

 

下は旧中込学校。棟梁は市川代治郎。

 

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この当時の、建造物は木製である。石造り、レンガ造りの西洋のそれと比べると、お粗末に感じるかもしれない。しかし、細部のこだわりは、和洋折衷と言う枠では囲えない面白さである。このような建物群は、「漆喰系擬洋風」と呼ばれている。

 

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開智学校の、角の部分には石造りに似せた物がある。もちろんこれも、漆喰作り。

 

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西洋の建物の、コーナーストーンを疑似したものであるのは明白。

 

建物の前面に目を移すと、天使が学校名を持ち上げ、舞っている。

 

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良く見ると、この天使はこの当時の新聞の題字の脇にいるものとそっくりである。

 

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毎日新聞の前身である「東京日々新聞」は、この開智学校の棟梁を務めた立石清重も購読していたというから、デザイン的には無関係ではなさそうである。

 

建造物が国宝に指定された場合、家具がその中には含まれるかは定かではない。しかし、開智学校には、家具的にも、その頃の物とされる、4号机が残っている。

 

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材質や構造まではわからないが、基本アイデアは、西洋の学校家具そのものである。

 

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しかし、天板上の大きな凹みは、硯が入るところ。西洋の物はインク壷用の窪みがある。ペン文化と筆文化の違いで面白い。

 

国宝に指定されると、何がどう変わるのかは分からないが、現存しているものが、上手く次世代につながればいいなと思う次第である。それと同時に、外枠だけではなく、中の家具にも目を向けてもらえればよいのだが、、、、。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018/08/05

François Linke

フランソワ・リンケ


フランソワ・リンケ。日本語のウェブサイトではほとんど見かけることがないこの名前。実は、フランス語でエボニスト、高級家具作家である。


とはいっても、100年前ほどの話。


今でも、彼の作品は、世界中のオークション等で高額で取引されている。



2015年の
家具道具室内史学会の学会誌の特集は「赤坂離宮での室内装飾」であった。その赤坂離宮、現在では、迎賓館赤坂離宮と呼ばれ、公務で使用してない時には、一般参観することが出来る。


造営された当時の家具が、
博物館明治村に多く収蔵されているのだが、その一つのテーブルの中から、一枚の紙きれが見つかり、日付と住所が確認されたと、報告されている。


日付は、1904年 6月 パリ

住所は、170番地 フォーブル・サンタントワーヌ通り パリ



1855年生まれのリンケ。


26歳の時に、初めて自分の工房を持つことになる。そしてそこは、亡くなる1946年まで、維持することになる。


そう、その住所が170番地、フォーブル、サンタントワーヌ通りなのである。

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1900年頃の、170番地。

真ん中のホテルのサインの下に、こっそり「F・LINKE」と見える。

その赤坂離宮の造営に関わったフランス人の室内装飾家フルディノアは、元家具作家、その後は、政府雇われ家具批評家。1889年のパリ万国博覧会の際には、リンケの家具をべた褒めし、「これはリンケ・スタイルだ。」と言わしめたほど。

1900年のパリ博の際には、リンケに自分の出展の為に発注をしているぐらい。

このフルディノアが得た日本政府からの大仕事。リンケに、家具の製作をお願いしている可能性は否定出来ない。

以前ブログにも書いたマリー・アントワネットの小椅子。

リンケもリプロダクションとして同じものを作っている。

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ちなみに製作費は、1908年頃には280フラン。小売価格は450フランだったそう。

赤坂離宮に収められた桐の紋の小椅子、4脚収められている。値段は一脚350フランで合計1400フラン。

リンケは、フルディノアを通じた日本コネクションを使ったのか、1908年には、東京、芝の蒔絵師・赤塚自得にコモド(足付き洋箪笥)の正面引き出し前面部のの漆塗りを発注している。

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さらに、彼の死後、海外への輸出先とその金額を調べてみると、東京にも家具を送っている事が判った。

21875フラン分。

それほど高額ではないが、リンケがフルディノアから注文を受けた可能性も否定出来ない。

さて、家具から、調べるか、ドキュメントを追っていくか。

本当に、フルディノアは誰に、家具を作らせたのか。

判るまでには、もう少し時間がかかりそうだ。

 

2018/05/27

新聞広告

An Advertisment in Newspapers


こういう仕事を長くしていると、時々面白いものに遭遇することがある。

古いプリントをクリーニングの為に黒檀仕上げの額縁から外した時に出てきたもの。


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新聞広告。

これ自体は、よくあることだが、日付を見ると、


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1915年11月29日。

まさしく、1914年から始まった第一次世界大戦の真っ最中。


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あのハロッズ。

その昔の戦争は、軍人と民間人がきちっと分かれていて、戦争時ではあったが、民間人は意外に普通の生活をしていたということは、よく聞くが、戦争世代からほど遠い私としてはいまいちピンとこない。


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普通の鋼鉄の刃に象牙もどきハンドルの物は5シリング。

鹿の角のハンドルだと少し高く5シリング6ペンス。

本物の象牙だと、7シリング6ペンス。

鋼鉄の刃に銀メッキをすると、10シリング6ペンス。



ディーラーやオークション・ハウスは象牙の扱いでバタバタしている今日この頃。


この頃に、捕獲された象牙を使っているハンドルのこのネルソン・ナイフ。


こういうものまで売買出来なくなってしまおうとしている今の状態はどうかなあと思ってしまう。

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