椅子

2021/02/28

Charles X Mahogany Chaise

シャルル10世時代のマホガニー製の小椅子

 

世界の家具史を見ると、木製の家具に関しては、ヨーロッパではある意味

18世紀末に最高峰に立っていると言える。構造、技術、デザイン、どれを

とっても、素晴らしいものである。ただし、手作業で製作する範囲内では

という条件が付くが。

 

イギリスでも、18世紀は家具の黄金時代と呼ばれ、著名なデザイナーを多

く輩出している。転じて19世紀は、混沌の時代。1830年代から1800年代

の終わりまで統治したヴィクトリア女王の時代。一般にこの時代は折衷時代

と呼ばれ、新しいもの、古いものが、ごっちゃになった時代として認識され

てきた。そのせいか、ある時期までジョージアンと呼ばれるそれ以前の時代

に比べ、価値が低いとみなされ、かなり安い価格で市場で取引されたいた記

憶がある。

 

それは、海峡向こうのフランスでも同じようで、18世紀末のフランス革命後

派手なナポレオン統治の時代があった後は、イギリスの様に様式がごち

ぜになっていて、アールヌーボー時代が始まる20世紀初頭までの間は

「19世紀スタイル」と言われかなり大雑把な分け方がされていたりする。

 

この小椅子もそんな時代の一品。

 

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前脚だけを見ると、それ以前のエンパイア様式に流れを汲んでいる。ただ

し、エンパイア様式の時のような重々しさはない。軽やかな、ある意味女

性的なデザインともいえる。

 

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ある意味、ロココの時代のリバイバルともいえる。イギリスとは違って、

18世紀には家具の主材にはなりそこなったマホガニーが使われている。

今まで、塗装するか、マルケトリーで覆うことにしか美的価値を見出さ

なかったフランス人が、やっと落ち着いて木の杢目、色を楽しむように

なった。もしくは、その前の時代に対するのアンチテーゼか。

 

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椅子自体は、本当に小椅子と呼ぶに相応しい椅子である。この系統が、その後

アールヌーボーへと引き継がれていく。

 

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普通は角柱をベースに、椅子の構造を組んでいくが、この椅子は至る所が

曲面に覆われている。特に座った時に、座った人が触るであろう上面は、

ほぼ全て曲面に覆われていて、触る手に優しい。

 

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座枠の前面が曲線。前脚の前側、座枠の横枠の上側が。こういった細かな

所が、全体として柔らかな印象を醸し出している。

 

前側右の、コーナーブロックがオリジナル。それ以外は後から付けられた

もの。それでも、オリジナルのコーナーブロックの内側は、柔らかな曲線

が使われている。

 

機械で作ると、コスト削減の為か、こういう細かい所が雑になってしまう。

質の高い椅子と言いうのは、コストとのバランスがつくづく難しいなと思う。

 

 

 

2021/01/31

Sussex Chair

サセックス・チェア

 

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イギリス、ビクトリア女王時代の中期の、大量生産と言う物に対するアンチテ

ーゼとしてのアーツ・アンド・クラフト運動を代表する一脚として知られる。

 

ただ、その割には、そもそものデザインの出所にはわからないところが多い。

 

そのアーツ・アンド・クラフト運動を主導したウイリアム・モリスの友人の

建築家フィリップ・ウェブのデザインだとされる。

 

が、もともとはそのモリスの工房で使われていたサセックス地方の田舎椅子

にインスピレーションを受けてそのデザインが誕生したらしい。

 

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19世紀の田舎椅子の傾向を見ていくと、ランカシャーを中心とする北部やイー

ト・アングリアと呼ばれるノーフォーク州、サフォーク州などで見られる、

ラッシュ・シートと呼ばれるイグサ編みの座面。挽いた丸棒を少し曲げた後ろ

足。北部で見られるラダーバック・チェアに類似する。が、ラダーバック・チ

ェアは背の高い椅子が多く、背ずりのぱっと見のデザインは、むしろイースト・

アングリア地方の椅子を彷彿とさせる。

 

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特徴的な、背ずりの挽き物。4つ並べられている。これは、同じデザインをあ

まり見たことがない。

 

本当に、その工房にあった椅子はサセックス地方の椅子なのか?

 

最終的に、デザイン自体がオリジナルなものに落ち着いている所を見ると、

インスピレーションは、あくまでインスピレーションで、ウェブの総合的な

デザイン能力が高い事が見て取れる。

 

1860年に建てられたウイリアム・モリスの私邸レッド・ハウスの為にデザ

インされ、その後第一次世界大戦後まで作り続けられベストセラーになっ

た一品。

 

長く作り続けられている分、細部のデザインが少しづつ違うものが存在する。

 

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椅子自体は、ブナ製。曲がったアーム部やクレストと呼ばれる背ずりの横棒は

トネリコが使われる。ラッシュ・シートの保護板は、樺材が使われているよう

に見える。

 

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秀逸な曲がり。木目を見ると、曲げているというよりは、削り出しているよう

に見える。塗装も、濃い茶色から、黒までばらつきがある。

その昔の黒は、今と違ってあまりいいことを意味しない。イギリスの家具史上

黒がアクセントとして出て来るのは誰かの死、喪を意味することが多い。

 

恐らくは、ビクトリア女王が亡くなった際に、黒く塗られた物が作られたので

はないかと思う。

 

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ウェブのデザインの中で、一番特徴的なのはアーム部の構造。

普通空白が開く、アームの下に、並行するように2本の丸棒。縦に使われる事

がほとんどの中で、横に使われているのは、田舎椅子的と言うか、もう少し洗

練された印象を与えてくれる。

 

普通ラダーバック・チェアのアームは、アップライトの丸棒に開けられた穴に

差し込まれたアーム部が前脚の上部のダボに差し込まれ固定される。

 

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アームを支える部分が、座面に開いた穴に差し込まれ、その下の貫に固定され

る。座った時に、内側から押される力を支持するようになっている。接合部だ

けに頼るのだけでなく、構造全体で支える。建築的である。

 

類似するシングルのサセックス・チェアを持っているが、機会があれば、この

アームチェアも欲しいなと思ってしまう。

 

ビクトリア・アンド・アルバート博物館にも収蔵される一脚。

 

 

 

 

 

 

 

2020/01/12

Ladder-Back Country Chair

ラダーバック・カントリー・チェア

 

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俗に、ノース・ウェストのウィンザー・チェア。

イギリス北東部、ランカシャーを中心とする一帯で、作られたタイプの椅子。

ランカシャーのすぐ南には、あの港町として名高いリバプールがある。

ジャマイカなどから輸出されたマホガニー材などが多く陸揚げされたが、

高価な材は、地元の家具などにはほとんど使われず、楡の木が使われている。

 

華奢な椅子で、シェイカー家具を彷彿とさせる。

 

そもそも家具業界に初めて入った頃、ウィンザー・チェアの名前より、先に

このシェイカー・チェアの名を先に聞いた。

 

個人レベルの家具工房として、名が知られていたのは、粟巣野のKAKI家具工房

北海道のアリス・ファーム家具工房。

 

後者の方で、シェイカー家具を作っていた(ただ、今はもう作ってない??)。

 

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もちろんシェイカー教団は、イギリスから新興国アメリカに渡ってきた、

クウェーカーの一派。

その創始者であるアン・リーはマンチェスターの人。マンチェスターはリバプールの

やや内陸に位置する街。

 

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上は、アメリカ、ニュー・レバノンのシェイカー博物館に残る一品。

丸棒を基調とした構造は、イギリス北東部の物その物。

 

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ピーター・ラビットで有名な湖水地方のあるカンブリア地方で作られたもの。

 

このタイプの椅子の面白いのは、横から見ると、全体が後ろに傾いでいるように

見える事。

 

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まっすぐ立ち上がった背もたれでは、座りにくいので、背ずりをやや後ろに

倒している。それに呼応するように、前脚も後ろへ少し倒し、全体の強度と

バランスをとっている。

 

ただ、構造的には普通の椅子が後ろ足はくの字が基本なものに比べると、

見た目の不安定感は否めない。

 

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恐らく、この手の椅子からインスピレーションを受けたジオ・ポンティの

名作スーパーレジェラはくの字を採用して強度を出し、極限まで材を

細くすることに成功している。

 

そういう意味では、シェイカー家具の材の太さは構造的にギリギリまで

細くなっていて、材には粘りのあるヒッコリーが使われている。

 

それ故の、余計なものを取り去った美しさが残る。

 

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2019/11/10

Commode Chair

コモド・チェア

 

このコモドと言う言葉は、家具の専門用語としてはややこしい言葉である。

 

元々フランス語のこの言葉、「便利な」と言う意味だが、それが転じて、衣類などを収納できる足付き箪笥を総じてコモドと呼ぶようになったのは18世紀の話。

 

それが、どうしてイギリスに渡り、「便利な」が、寝室などに置かれる陶製などで出来ているおまるを収納する椅子の事を指すようになったのだろう。

 

形としては、18世紀の初頭から存在するので、その頃は違う名前で呼ばれていたに違いない。

 

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この、コモド・チェア18世紀の終わり頃に作られたと思われる。

 

ヘップルホワイトからシェラトンへとデザインの主流が変わっていく時のもののようだ。

 

座面はドロップ・イン・シートに変更されている。もともとは椅子と同じマホガニーの座面で、真ん中に丸く穴の開いたもの。そこに、恐らく陶器製のおまるが備え付けられている。その上に、挽き物で挽いた蓋。

 

寝室のベッド脇に置かれ、わざわざトイレに走らなくても済む。

 

今日、VRのお陰で、色々な経験が体感できるようになった。しかし、その場で消えてしまう、音や匂いというものは再現するのが難しい。

 

五感を使って感じてたものは、間違いなく脳に深く刻まれる。その経験がない僕らは、コモド・チェアと聞いてもあまりピンとは来ないだろう。介護の現場などに遭遇し、初めて認識出来るに違いない。

 

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座面のおまるを隠すために、座枠がスカート様に長くなっている。もちろん、マホガニーの一枚板ではなく、松材に良い木目のマホガニーのべニアが貼ってある。

 

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上から見たほうが、わかりやすいだろうか。

 

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もちろんコーナー・ブロックは後付け。壁につけておくため、後ろ側にはおまるの目隠しがない。

 

面白いのは、背ずりの装飾。

 

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スプラットと呼ばれる縦に走る材。

 

上部、下部に彫刻で装飾が彫り込まれている。

 

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良く見ると、全て意匠が違うことに気づく。

 

何故??

 

裏側を見ても、新しい部材に変更されたものには見えない。もともとは家具作家の作った彫刻のサンプルとしてだったのか、はたまたオーナーのちょっと変わった趣味なのかは神のみぞ知るところ。

 

そんなところを想像してみるのもまアンティークの面白い所でもある。

 

 

 

 

 

 

2019/10/27

West Country Windsor Chair

ウエスト・カントリー・ウインザー・チェア

 

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ウエスト・カントリーと呼ばれる地域がある。

 

英国のあるグレート・ブリテン島の一番下の左端、細長く突き出た部分がそう呼ばれる。今では、主にコーンウォール、デヴォン、ドーセット、サマーセットの4州からなる。

 

ローマ人がこの島を闊歩していた頃に作られたローマ道が基礎となり、交通網が作られた故に、そこから外れた地域は、時として独自の意匠やアイデアを育むことが多い。ウインザー・チェアを例にとれば、現在のノーフォーク、サフォークのイースト・アングリアと呼ばれる地方のメンデルシャム・チェアなどがそうである。

 

このウインザー・チェア、一目でウインザー・チェアの形をしている。

 

恐らく、オイル系のヴァーニッシュを塗られたせいで、経年変化により黒ずんだ色に見える。しかし、細かい所を見ていくと、その下に、青、もしくは緑の塗装が施されているのが判る。

 

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この地域では、青、緑、赤が一般的だそう。

 

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前脚も、この地方特有のリール・アンド・ボールの挽き物。

 

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一枚物の楡の座面の裏側に作られた時の工具を使った跡が見える。

 

背ずりであるスピンドルが上側のフープに差し込まれ、その接合をしっかりしたものにするために、木のダボを打ち込むのもこの地方の特色。

 

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下から来たスピンドルの先がフープの下側の穴に入り、そのフープの後ろ側に、押しボタンのようなダボの頭が見えるだろうか。

 

ここまでは、他の地方と被るものもあるのだが、このアーム部の構造に関してはまさしく、ウエスト・カントリー・チェアと呼ばれるもの。ただし、他のウインザー・チェアの構造に比べると、強度的に弱い‼

 

それ故に、このタイプは、後付けの金属の補強がされているのが多い。

 

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この3パート・アームと呼ばれるものがウエスト・カントリーの物。(上図のB)

 

チルタンと呼ばれるロンドン周りでは、Aのタイプ。強度的にも強い。

 

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前から、見ても判り辛い。ただ、重ねてないので前から見たときすっきりしている。

 

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下側から見ると、3つのパートで構成されているのが判るだろうか。

 

ちょうど背ずり真ん中の部分、右側のアームの方へ続く部分。そして、その真ん中の三角の部分。

 

作られ始めた18世紀終わりから、19世紀初めにかけて試行錯誤したに違いない。重ねて、どんくさいデザインにするより、強度が少し落ちるがすっきりした洗練されたデザインにしたかった。家具職人のこだわりだろうか。

 

しかし、やはり使用勝手が悪かったのか、19世紀中ごろからは、この構造は消えていく。

 

逆に、今となってはそれが目安になり、この椅子は19世紀前半の物と自信を持って言うことが出来たりする。因果な物である。

 

ただ、こういう美しい形の物は最近めっきり見かけない。

 

やはり構造上の欠陥が仇となったのか?

 

 

 

ちなみに、使用木材は恐らく、トネリコ材に楡材。

 

 

 

 

 

 

 

 

2019/10/20

馬毛の布地

Horsehair Fabric

 

進化していくという事は、古いものを捨てていく事と同義な感じがする。

 

初めて買ったレコードは覚えているが、残念ながら初めて買ったCDは覚えていない。それは、あくまで初めて接した音楽メディアがそうだっただけで、もっと若い世代の子たちは、初めて買ったCDを覚えているに違いない。最近、近所のスーパーのCD売り場でレコードが売られているのを見ることがある。中古ではなく、新品。

 

どんなものも、時間が経てば忘れられていく運命だが、その中でどうしても変わらないものがあったりする。

 

バイオリンの弓に使われているのは相変わらず馬毛。象牙と同じ特徴を持つ物を、人工的に作るのは不可能に近い。自然から生まれた物を、人工的な物で差し替える。今まで出来た物、事が出来なくなっていく。カーナビによって地図を読めなくなった脳はどうなるのだろう。AIに取って代わられた人間は捨てられるのか。

 

椅子の張地もそうで、英国では、そもそも羊毛からのウールが使われていた。それが、中国からの絹に代わり、インドからその廉価版の綿、はたまた、動物からの皮か。今では、アクリルやビニールが耐久性やコスト安が故に重宝されている。

どんどん新しいものが、出て来るのに、まだ全ての物が並列に存在している。特に、人間が使うものや接するものには愛着が深いのか、単純に合理的な方へは進まない。これが人間の人間たる所以か。

その中に馬毛と言うチョイスがある。

 

一般に、馬毛は椅子張りの詰め物として最高の物として使われてきた。他の動物の毛に比べ、太く、弾力に富む。しかし、生地が編めるほど長くもないので、あくまで黒子の役を演じてきた。

 

事の始まりは18世紀の中頃の、今のドイツの中核となったプロイセン王国ようだ。恐らくは、高価な絹の生地の代替えとして、爪などと同じケラチンから作られている光沢のある馬毛を使って生地にしてやろうと。そこで、王室や新興の裕福層に広まっていったようだ。

 

 

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馬毛と一般に呼ぶが、ここでは尻尾の毛。それ故に、せいぜい60~70㎝の布地しか織れない。

 

しかし、染色することにかなり多彩なパターンを作り出すことが出来る。

 

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ちなみに張るとこんな感じになる。↓

 

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耐久性は高く、光沢があり、掃除も簡単。唯一の難点はコストの高さだろうか。

英国ではたった一社が製造しているが、多くの馬毛はモンゴルや中国から輸入しているそうだ。

 

手触りがいいので、是非一度触ってほしい一品である。

 

 

 

 

 

 

 

2019/07/14

オランダ製ダイニング・チェア

Dutch Marquetry Dining Chair

 

オランダ製の家具と聞いて、どんなものを想像するだろうか?

 

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あの17世紀に描かれたフェルメールの絵の中の椅子や机。

 

オランダ東インド会社が、インド洋沿岸を闊歩していた頃の、東南アジア特産の黒檀を使った家具群。

 

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はたまた、19世紀にゴッホが描いた物。まあ、これは、フランスで描いているから、オランダ家具ではなく、フランスの家具か。

 

オランダの家具でサーチをしてみると、かなり大型のキャビネットか、マルケトリーの家具が出て来る。

 

元々、今のドイツ圏で始まったマルケトリーという技法。色の違う木の薄板を切り抜き、ジグソーパズルのように組み合わせる。そのピースをカットする為の、糸鋸の刃を作れる鉄の産地が故に、その地方で始めることが出来た。アイデア自体はイタリア圏の物だったが。

 

かなり粗い歯であったにもかかわらず、かなり精巧なマルケトリー細工がドイツ圏やイタリア圏に残されている。敢えて、ドイツ圏、イタリア圏と使っているのは、その頃には、ドイツと言う国、イタリアと言う国はまだ影も形も存在してないが故。

 

かと言うオランダも、その頃にはまだない。17世紀中頃にスペインから独立して初めて、今のオランダの原型が生まれている。

 

その頃に流行ったのが、英語でシーウィード・マルケトリーと呼ばれるやや抽象的なデザインの物。直訳すれば海藻のマルケトリー。スペインに残されていたムーア人の遺産の名残のアラベスク模様から来たのではないかと思うのだが。

 

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それが、オレンジ公ウィレム3世が、イギリスへ渡り、ウイリアム3世として即位した際に、イギリスにも渡り一世を風靡することになる。

 

しかし、わからないのが、一般にダッチ・マルケトリーと呼ばれるのは、その繊細なものではなく、草木を雑に描いたどんくさいものである。

 

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このダイニング・チェア―、デザイン的には19世紀初頭頃の物。

それに、そのどんくさいデザインが施されている。

 

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もうそれが、伝統的に決まった定型パターンであるかのように。郷愁的な懐かしさを思い起こさせるのか。リバイバル様に始まったこのマルケトリー・パターンは、19世紀にわたって、長くオランダ家具の装飾の定番になっていく。

 

そもそも、この椅子は人為的な損傷の為か、背ズリの部分が左右ともばっきり折れた状態でやってきた。

 

元来の接合部分はしっかりしている為、その壊れた部分を一気に組み上げ固定する。

 

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どっちの方向から、どのように力をかけたらいいのか、まるでパズルのよう。Gクランプに、サッシュ・クランプ。表面を気付付けないように当て木をし、ピタッと面を出したいときはアクリル板を使う。局面には、シリコンのブロックで対応。実はこの時間が一番面白かったりする。

セットのうちの一脚だと、塗装でもあまりごまかせないので、一発勝負で仕上げたい。

 

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裏を見ると、オーク材の部材の上に、マホガニーのべニアが張っているのが判る。

 

 

 

 

2019/03/31

マホガニー・ラダーバック・チェア

Mahogany Ladder-back Chair

 

ラダーバックの椅子と聞くと、普通はウインザー・チェアの一タイプを思い浮かべる。

18世紀初頭から、ランカスターを中心とするイギリス北部で作られ始めたもの。背中のデザインが梯子に似ていることからそう呼ばれる。楡やトネリコなどの地元産の木を使い、ラッシュ(Rush)と呼ばれるイグサを編んだ座面が特徴。

 

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ラダーバックの横木の部分はいろいろなデザインがあって、それによって生産地が特定出来たりする。

 

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このジャマイカや、キューバ産の質の良いマホガニーで作られた、ラダーバック・チェア。ウインザー・チェアのそれの感じに比べると、かなり洗練されたものになっている。

 

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ほぼ同じ背中のデザインを持つ椅子。ただしウォルナット製、カブリオレ脚。まだ、クイーン・アン、ジョージ1世の流れを汲んでいる。1739年に、ロンドンの家具作家に製作され、イギリス西部のデボンに納品されている。

面白いのは、ラダーバックが、遠くランカスターから離れたロンドンで製作されている事。しかし、よく見ると、この背ずり、笠木の端が、斜め継ぎになっているように見える。

 

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ロンドンのジェフリー博物館に所蔵されている一脚の椅子。

背中のデザインは一緒、ドロップ・インのラッシュ・シート。まさに、あのウインザー・チェアをタウン仕様にリ・デザインしたように見える。この椅子もウォルナット製。

さらに、良い事に、この椅子の座枠の内側に家具作家の物と思われる紙のラベルが残っていた。ただし、半分。肝心な家具作家の名前がない、、、、。

 

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18世紀に、この手のラベルを製作した家具に残していた家具作家は多くない。ラッキーな事に、この家具作家が他の家具にもラベルを貼っていた。

 

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18世紀前半、チッペンデール以前には、ジャパニングの家具で名を知られていた家具作家ジャイルズ・グレンディ。このラベルも、赤いジャパニングが施された、椅子に貼られていたもの。

 

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本当に、良いマホガニーが使われている。一枚板から、背中の材が取られているのが判る。

 

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こう考えると、マホガニー製のラダーバックもグレンディ製か?

座面を剥がしてみたが、座枠はブナ製、ラッシュ・シートから改変されたように見えない。

 

グレンディは息の長い家具作家である。

1720年代から、60年代まで活躍している。クイーン・アンの時代は丁稚、それからジョージ1世から3世までの時代の移り変わりを見てきている。ウォルナットの時代からマホガニーの時代への移行。シノワズリ―と呼ばれる中国風のデザインや紅茶の流行。時代の変化と共に、デザインも変わっていったに違いない。特にロンドンで活動する作家は猶更である。

 

グレンディの製作した椅子とは断定できないが、18世紀中頃、ロンドンで作られたものと言うのは断言できそうだ。

 

良い椅子である。

 

 

 

 

 

 

2019/02/03

パプアニューギニアのスツール

A Stool from Paua New Guinea


パプアニューギニア、名前は響きが面白くて、小学校の時に地図帳で見て覚えた。

オーストリラリアの少し北の方にある大きな島。

実際、その国に関して知っているのはその程度。

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少しサーチすると、実はこの国、英国のエリザベス女王を君主とする、英連邦王国の一国であった。1000を超える部族が存在し、独自の喋られている言語の数は、世界で最も豊富な国であるとされる。


パプアニューギニアの北部に流れるセピック川周辺地域では、木彫りが伝統的である。使うのは、彫り易いバルサ。世界中に流通しているものは南米産がほぼ全てを占めるが、ここを含むインドネシアなどのアジア圏でも生息している。

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セピック川周辺に住む部族の中でも、アベラム族の人々の木彫りは有名で、バルサ材を彫り、着色されている。植物や動物の形を彫り、祖先の魂を表すという。


上のスツール、アベラム族製かどうかは定かではない、動物をかたどっているのは一目瞭然。ナマケモノのような気がするのだが、パプアニューギニアにはナマケモノは残念ながら生息していない。


じゃあ、何がモチーフなのだろうと調べてみると、、、、

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キノボリカンガルー。

まさしく木に登るカンガルー。

オーストラリアにも数種存在するが、ほとんどはこのパプアニューギニアにいる。

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ぐりぐりした目。


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お茶目な尻尾。

もしそうなら面白いって思ってしまう。


Dsc06825











2018/09/23

バルセロナ・チェア?

Barcelona Chair?

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知人の「椅子の美術館」準備室の倉庫で見た一脚。

 

ふと、モダン・デザインの名作と呼ばれる、ある椅子を思い起こさせる。


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20世紀のモダニズムを代表する一人であるドイツ人の建築家、ミース・ファン・デル・ローエが、1929年のバルセロナで開催された万博博覧会で臨席するスペイン国王夫妻の為にデザインされた椅子。

スチール製のフレームにクロームメッキを施してある。片持ちのカンチレバーの椅子に代表されるバウハウスの流れをくむデザイン。

横から見ると華奢に見える割には、座るととても安定していてびっくりさせられる。



さて、本題の椅子に戻ろう。

積層べニア構造。もちろん木製。


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前足は背ずりへと続く。座の下から生えている後ろ足。前後の足は交わっているだけで、ネジやボルトで固定されている訳でなない。

しかし、良くバルセロナ・チェアの脚の優雅さを表現していると思うのだが、、、。


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構造材でもある積層べニア、表裏の化粧べニアと8枚の薄板から成る。


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裏側。

 

古いウェビングの隙間から馬毛が見える。

  



実は、この椅子。

 

テーブルと椅子2脚の3点セットの様で、テーブルには金属製のタグ。

Dsc06624


なんと日本楽器製造(現ヤマハ)の家具。

 

ヤマハの家具と言ったら、山葉文化椅子セット。


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1930年頃からの発売と「日本の木のイス展」の図録には書かれているが、このテーブルの実用新案登録が昭和3年にされているので、実際には20年代後半から売られていたかもしれない。


どの文化椅子のタグを見ても、このバルセロナ・チェアもどきセットの様ではないので、ミース・ファン・デル・ローエの椅子がデザインされた1929年以降から戦前までの間に作られたと思われるのだが。


バルセロナ・チェアのような軽やかさはなく、重い感じはするが、座りはいい。

36年に発表されたブロイヤーのシェーズロングの脚の積層べニアの厚みのほうが薄いから、その当時の技術力のせいか?


ちなみに初期の頃の、積層べニアの接着剤には膠が使われていて、虫に食われていたりする。


果たしてこのもどきの脚は何で接着されているのか。


タグには、実用新案、意匠登録申請中とあるから、登録の公文書が見つかると何かわかるかもしれない。



追記

日本楽器製造会社、重ねることが出来る、組立型家具グローブ・ワーニックにも似た家具も出していたりする。



 


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