家具材

2022/04/18

象牙よ、何処へ その2

象牙よ、何処へ その2

Ivory, where are you going? Part2

 

Shibayama-pot

 

4年前の春に、「象牙よ、何処へ」というブログを書いた。

この4年間に、様々な変化があった。

 

国は、正式にEUを離脱。

 

オークション会社は、工芸品に使われている小さな象牙にまで気を配り、

イギリス皇室の王子は、王室のコレクションに含まれる象牙を使った物

全て破棄すべきだと言い出す始末。

 

工芸品の売買では、英国はたえず市場を先導してきたが、EU離脱以降少し

づつその地位を失いつつある。その金蔓だった産業にさらに追い打ちをかけ

る様な法令はと伸ばし伸ばしになっていった象牙法2018がついに、この6月

から正式に施行される。

 

例外に関して、以前の案から、やや追加が見られる。

 

*1947年以前の物で、象牙の占める割合が10%以下の物

*1975年以前の楽器で、象牙の占める割合が20%以下の物

*1918年以前のミニチュア・ポートレートで表面上の象牙が320㎝²以下の物

*きちっと登録された博物館、美術館へのローンや売却契約

*1918年以前の物で、特別に美術的、文化的、歴史的価値が高い物

 

上の2つは、元の案とほぼ変わらず。

ミニチュア・ポートレートはもう少し詳細が付加され、教育的観点から美術館等

の公的機関へ売却、貸し出しは認められている。

 

5つ目に関しては、かなりのグレー・ゾーンを含む項目。登録費20ポンド、

査定費230ポンド、計250ポンドで、本当に価値があれば売買が可能になる。査定

するのはロンドンのビクトリア・アンド・アルバート博物館を含む全国の博物館

からの専門家によるもの。

 

修復に関して言えば、1975年以降に他の象牙を使った修復があるかというのが鍵に

なるようで、状況によっては過去の修復のやり直しなんてことになりそうだ。しかし、

ちゃんと直してあるとどこが修復跡かわからなかったりするし、頭が痛い問題が起こ

りそうである。

 

この法を破ると、5年の懲役もしくは最大4千万円越えの罰金だそうで、修復家にとっ

ても、あながちこの法令は無視出来ない物になりそうだ

 

しかし、この法令で象牙の密猟が防げるのか、というのは甚だ疑問に思うのだが、、、。

 

 

 

 

 

2019/10/06

銀のピクチャ・フレーム

Silevr Picture Frame

 

Dsc07985

 

銀の写真立て。

とはいっても、銀のフレームに嵌め込まれているのは、鼈甲もどき。

良くは出来ているが、本物の鼈甲ではない。

確か、ワシントン条約で取引が禁止されているはずだから、本物だったら売買が出来ない。

 

何で出来ているかと言うと、いわゆるプラスティック。

今話題の素材である。

そもそも、プラスティックと言う言葉は、元々はギリシア語の「形作る」という言葉「プラスティコス」から来ているそうだ。

一般的には、可塑性があるもの、つまり成形が出来て、その後もその形が保たれるという特性を持つもの全般に使われる。

 

19世紀の中ごろに産み出されたセルロイドが一番最初の人工的なプラスティックと呼ばれている。

植物からとれるセルロースと硝酸から出来るニトロセルロースに樟脳を混ぜることによって出来るセルロイド。

20世紀中頃まで、食器やメガネのフレーム、おもちゃなどに多く使われたが、耐久性や発火性の問題により次第に他のプラスティックにとってかわられた経緯がある。

燃やしてみれば、判るが、ドリルで穴をあけたりするとわずかな樟脳の匂いがする。

 

Dsc07988

 

そのセルロイド製の鼈甲に銀が象嵌されている。

問題は、セルロイドが経年変化により縮んだことにより、銀の象嵌が溝にフィットしないことだろうか。

 

プラスティックと言うと、安物のイメージがあるが、初期の頃は安い物ではない。

確かに、本物の鼈甲で作ってあったほうが高いが、それでもその代替え品を使ったものでも高級品。

 

あのマッキントッシュも、初期のプラスティックに興味があったらしく、自分のデザインした家具や置時計の中で最新の素材として使っている。

 

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IMAGE FROM VICTORIA AND ALBART MUSEUM, LONDON

 

ちなみに、上のキャビネットの黄色い部分がプラスティック。

エリノイドと言う素材だそうだ。

 

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裏も手が込んでいて、真鍮で作った蝶番などの錺り金具は銀張りされている。

 

Dsc08006

 

フレームの下側には、純銀を証明するライオン・マークに、錨のマークはバーミンガム製を表している。

製作年を表す小文字の「k」は1909年製。

メーカーズ・マークはヘンリーズ・ウイリアムソン社。

元々はロンドンの会社であったようだ。

 

110歳の写真立て。

飾られるのはどんな写真か??

 

 

 

 

2018/04/14

象牙よ、何処へ

Ivory, where are you going?


Ivorytrade_2


先日、英国の環境・食糧・農村地域省の環境事務次官Michael Gove氏が、同国の今後取るべき象牙に関す取引に関する発表をした。

ここ、数年間、環境保護活動家やアンティーク商、英国王室までをも巻き込んで、喧々諤々の議論が行われてきた。

しかし、国策としてとる英国の今後の方針は、かなり厳しいもの。


全面的な、象牙の取引の禁止。


これまでは、ワシントン条約に基づき、1947年以前のものに関しては、許可さえとれば、売買が可能ではあった。

ついこないだまでは、アメリカでは、自分でゲーム・ハンティングした象牙であれば2本までは、アメリカ国内に持ち込むことが出来るというものだったし、世界的には、ワシントン条約を批准した国すべてが足並みが揃ったピッと一本線の通った感じではなかったのは確かだ。

それを、時代に関係なく、全ての象牙取引の禁止はかなりのひと悶着を巻き起こすに違いない。


多少の例外は存在する。


*1947年以前の物で、象牙の占める割合が全体の10%以下の物

*1975年以前の楽器で、象牙の占める割合が20%以下の物

*100年以上経ったの希少性のある物

*100年以上経った、薄い象牙を使ったミニチュア・ポートレイト


こう見ると、大体の物は3番目の100年経った希少性のある物に該当するのだが、これも専門家にお墨付きをもらわないとダメらしく、まだまだ曖昧。



そもそも、象牙と聞いてピンと来る人のほうが少ないはず。

歴史的に見れば、象牙は彫刻の材料として長く、使われてきた。いまだに、その特性、色、質感、硬さ、加工のしやすさを持った物質は発明されていない。

だからこそ、いまだに象牙は工芸の世界では需要が存在する。


古くは、古代エジプトの椅子。


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上は、6世紀ごろ作られた東ローマ帝国の司教の椅子。

中世の象牙の彫刻。

19世紀には、こんな椅子もあった。


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インド製。

日本でも、オランダ東インド会社を通して、多くの象牙が輸入された。

江戸、明治期には根付や置物と呼ばれる象牙彫刻が、外貨を稼ぐ輸出品として海外に多く売られた。


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普段、人々の目には触れなくても、今日も象牙は買われていく。

日本で買われた象牙細工のほとんどが中国に渡るらしい。


それを消費する国。

それを産出する国。


本来、資本主義、自由貿易が基本だから、この両者で取引をし、全てハッピーのはず。

だが、ここでは名もない第3者が介入してくる。


世の中は、そういう風に出来ている。


個人的には、強く象の密猟には反対である。




が、そこではそれをして食べていかなければいけない人も存在する。


アンティーク商のように、そういうものを売って、生計を立ている人もいる。



象牙の取引を全て禁止すれば、象は救われるのか?



よく考えると、捕鯨の話と似ている感じがしないだろうか。






こう考えると、根本はいつも同じ結論になってしまう、、、、、、。










追)この件に関しては、かなりNPOからプレッシャーがあったらしい。






 

2018/03/11

Camphor Campaign Chest

クスノキ製旅行用チェスト


よく防虫剤で使われる樟脳はこのクスノキの枝葉からとれる物である。名前は知らなくても、その匂いは、誰もが嗅いだことがあるに違いない。

そのクスノキ、中国南部や台湾、ベトナムなどの暖かい地方の原産。日本では、九州や四国などでみられる。


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そのクスノキで作られたチェスト。


何の変哲もない、いたってシンプルな作りになっている。 この手の家具は、英国ではキャンペーン家具と呼ばれるもの。キャンペーンは軍隊の従軍なんて意味を表す言葉。

転じて、海外での軍の従軍時や旅行などに使われる、専用の家具の総称を呼んでいる。

その当時の足、船に積みやすいようにシンプルに、そして乱暴に多少に扱われても大丈夫なよう質実剛健。さらに、その旅先の風土に合わせて作られているのが特徴。

樟脳が取れるクスノキを材に選んだのは、もちろんその防虫効果を狙ったもの。東インド会社の駐在員が中国でも多く注文し、作らせたがこれは、どうやら英国製。


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内側に、「ARMY & NAVY C.S.I MAKERS.」 のタグ。

このアーミー・アンド・ネイヴィー社は、1871年に、現役軍人が、農協のようにまとめて買って、会員に安く売るというような形で設立された販売店。

ロンドンに最初の店舗をオープンしたものの、その当時、多くの会員がインドに従軍していたため、インドで立て続けて店舗を開く。そこでは、食べ物からお酒、このような家具まで売られていた。


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接合は一番強い、蟻組つぎに、真鍮製のブラケットで補強が入れられている。特に角は、損傷を受けやすいので。


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一枚板の天板に、角に真鍮の補強ブラケットが見える。


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取っては、ジョージアン期のデザイン。取っ手部が真横から上に行かないようになっている。


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中は白木のまま。金具は錆に強い真鍮製。蓋と本体の接する所は、一段段差をつけ噛ませるようになっている。


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このキャンペーン家具、いまだにコレクターが多い。過度に装飾されたものよりは、今のシンプルなインテリアの風潮に向いているかもしれない。




2016/12/30

ツルサイカチ属

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ツルサイカチ属、聞きなれない名前。

主に木材用に使われる樹木が多い属である。


18世紀のヨーロッパの家具に多く使われる、キングウッド、チューリップウッド、ローズウッドはこの属に含まれる。

1992年、ブラジル産のローズウッドがワシントン条約の付属書Iに掲載され、大幅な輸出規制が行われた。

その後も、ブラジル産の代替え品として、紫檀系と言われるインドカリン属の黄檀、マダカスカルやタイ産のローズウッド、ココボロが規制されてきた。

来年の2日からとうとうツルサイカチ属全てが規制の対象となる。


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世界的に、先進国が不況にあえぐ中で、ここ10年気を吐いてきたのは、中東の産油国であり、ロシアのオリガルヒであり、中国の富豪達であった。

特に、中国の国としての成長は新しい中産階級を産み出し、さらに新たな需要を産み出した。

イギリスでも皇太子を先頭に問題を提起する象牙の乱獲もその影響の1つ。

ローズウッド系のツルサイカチ属もそれに続くようだ。




新たな裕福層が求める家具。

それは、皇帝が宮殿で使用していた様式の家具。

もともとは無垢の紫檀製に、彫刻。

特に竜の図柄。


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それに加え、ブビンガやパドゥークも規制の対象になるようで、国際的な取引には許可証なりの認可が必要になりそうだ。




ちょっと前になるが2009年に清の乾隆帝が使用した玉座が、10億円余りで落札されていて、ブームの一端をうかがい知ることが出来る。

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やはりマスの力は強り‼




2016/09/25

Malachite

孔雀石
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マラカイトと呼ばれる鉱石。


化学式はCu2(CO3)(OH)2と書かれることから見て分かるように銅の二次鉱物であり、銅山などで見られることはそれほど珍しいことではない。


錆の緑青と科学的にほぼ同じで、アジア諸国(日本、中国、韓国)では昔から、緑の顔料として使用されてきた。


鉱石としては古くから知られていたが、芸術品などに使われることは稀で、大概はオブジェクト・オブ・ヴァーチュと呼ばれる芸術的嗜好の高い小物で見られるほどであった。


がらりと様相が変わったのは産業革命などにより、採掘や精錬等の技術が向上し新しい鉱山が開発されるようになった18世紀以降の事。

ロシアが、ヨーロッパ大陸をアジアとヨーロッパに分ける境界線上を走るウラル山脈で銅鉱が出ることを見つけてから。そこで、かなりのマラカイトが出たようで、その艶やかな緑色と金色を組み合わせたコンビネーションはロシアの十八番となる。
石細工では最高のイタリアから職人を招聘し、工房を作り技術を継承させたという。

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サンクトペテルブルグにある冬宮殿(現エルミタージュ美術館)のマラカイト・ルームが出来たのは1830年代の事。巨大な柱、暖炉、テーブル等がマラカイトで装飾されたことによる。

1851年のロンドンで開かれた万国博覧会でもロシアの特産として、マラカイト張りの家具が展示されている。

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奥の壁際に、ペデストール、衣装ダンス、壺が見える。階上の所のバーナーはロシアの国旗の白、青、赤。






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緑の壺だからと言って、純マラカイト製ではない。

べニアと同じで、廉価な材料で躯体を作り、薄くカットしたマラカイトが前面に張り付けてある。   

家具の場合は、もちろん木が躯体。

環境の変動によるその躯体のやせが原因でその薄いマラカイト層が剥がれてしまうのが良くある損傷の原因。

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ここまで剥がれてしまうと、もう笑うしかない。

マラカイトはそれほど硬度は高くない。

モース硬度で4ほど。ナイフの刃で簡単に傷が付けられるほどの堅さ。それ故に、薄く切りべニアを作る作業はさほど困難ではないのだが、いたって脆い。


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脚の部分のせいぜい3㎝幅ほどの一部分だが、ロシアン・モザイクの名の通り、真ん中で継がれているのがわかる。


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裏に返すと、マラカイトがいかに脆いか、隙間があいているのが見える。右側、緑の色が変わる真ん中の部分に緑のフィラーが使われている。まさに、モザイクで、小さな破片を継ぎ継ぎし大きな面を作っていく。

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椅子の足上部。

完成するとこんな感じに。



家具には色々な物が装飾で使われるが、さすがに石を張り付けた家具はこのマラカイトの物ぐらいでないだろうか。



本当に人は色々なことを考える物である。




2016/06/05

カキノキ属

Diospyros

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和物の箪笥。

大正から、昭和の初めにかけてだろうか。

材にはクロガキが使われている。

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イギリスは、ジョージ3世の時代に作られた、スクレテール(Secretaire)・キャビネット。フランス語だが、イギリスでもそのまま使われている。ただし、読み方は英語読みだが。

シェラトン様式で1800年頃に作られたのだろうと思う。材はマカサー・エボニー(Macassar EbonyMakassarとも書くようだ、ちなみにこれも英国人読み、マッカサルが正式か??)。インドネシアのマカサーの港から輸出されたことに由来する。

あまりにも似た木目。濃いと薄いのコントラスト。



調べてみると、両方ともカキノキ属に属する、いわゆる親戚の木。似ていて当然か。


クロガキはDiospyros kaki、マカサー・エボニーはDiospyros celebica





1787年のフランス革命から1814年のウィーン条約の締結までの本国のドタバタによりオランダ東インド会社が、路頭に迷っていた頃。(日本の出島への定期船も、自社の船が出せず第三国のアメリカ船に頼らざるをえなかった)

ライバルのイギリス東インド会社が、その混乱の隙に乗じて、その地域での覇権を広げていたその時代に多く輸入されたものだろう。丁度、リージェンシーの時代に多くマカサー・エボニーのべニアが使われた家具が存在する。


そして、そのべニアがまた流行になったのが、アールデコの時代。そんな感じで作られたのが、一番上のクロガキの箪笥。


そういわれると、ところどころにアールデコっぽい感じがあるような、ないような、、、、。





2016/03/06

ライム

Lime

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キャンドルスティック。一本の木を挽き、彫刻を施し、彩色がされている。元々はペアで作られたものの片割れではないだろうか。

お辞儀をしたようないい反り具合。とはいえ、機能的に溶けた蝋燭の蝋がテーブルにそのまま落ちてしまうという不具合はあるが。

さあ、どこの国の物だろうと考える時、何を手掛かりに答えを見つけていく?

デザインや素材。英国に現存するからと言って英国製であるとは限らない。


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詳細を見ていくと、挽き物で大体の形を整えた後、手で彫られているのが、彫刻鑿などの道具の跡でわかる。

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芯の部分の溝欠きも真っすぐでは無い。こちらでラスティックと呼ばれる、ややカントリー調の感じは、時にきちっとした線の中で生きている現代人には、ホッとさせる効果がある。

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材はライム。

バスウッド(Basswood)、もしくはリンデンウッド(Lindenwood)等と呼ばれたりもする。ヨーロッパ大陸ではリンデンウッドという表記を多く見る。日本ではシナノキの仲間。

英国では原産ではなく、ヨーロッパ大陸では古くから彫刻用の材として主に使われてきた。目が細かく、割れ難い。まさに彫刻の為の材。その代り、木目はさほど目立った特徴もなく、面白みがない。染色されるか、彩色されるか、鍍金がされるているものがほとんど。

英国では17世紀の終わりに、オランダからやってきた若き彫刻家グリンリング・ギボンズがもたらした。彼の繊細な彫刻にはライムの材が必須。

ロンドンにある教会でも、ぶらっと入って見る事が出来たりする。

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その精巧さに驚く。
が、ライム自体はギボン後はあまり英国では使われることなかった。

そう考えると、上のキャンドルスティックは南ドイツから北イタリア辺りで作られたのでなないかと思う。

ちなみに、このキャンドルスティック、上の部分が消し忘れの為、大きく焦げていた為、新しく挽き直し、彩色してある。







2015/02/01

竹を模倣する

Imitating bamboo

竹を模す。

何故と言う疑問??

関東に住んでいると、それほど多く竹の存在に気を留めることは少ない。しかし、それが一旦、日本列島を西に向かって走っていくと、大阪を超えたあたりから、竹林が多く目につくようになる。つまり、竹は暖かい所に生える植物なのだ。

18世紀に、ロココと上手く結びついた中国趣味をシノワズリーと呼ぶ。清との貿易による陶磁器やお茶の流行はそのヨーロッパの文化にも影響を与え、その余波は家具デザインにも及ぶ。

竹の意匠もそのシノワズリーの一つとして認知されていく。

チッペンデールのデザイン書の中にも取り入れられ、ヨーロッパでは未知の存在である竹を模倣する様式が始まったのもこの頃である。

世紀末に向かって、一旦流行は収まったかに見えたが、ジョージ4世によって建てられた、イギリス南部の町ブライトンにあるロイヤル・パビリオンがシノワズリー様式で大改修されてから、また流行に火がついた。

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室内の意匠。壁紙にも竹のモチーフが。極めつけは鋳鉄で作られた階段の脇の手すり。

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色まで竹の様に塗布し、節まで描く周到さ。

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大概は、ブナ材を竹のように挽き、塗装してある。17世紀後半に流行った漆の模倣、ジャパニングとおなじ塩梅である。

それが、19世紀後半にもなると、すっかり影を潜め、本当の竹の家具が作られるようになる。150を超える会社が竹製の家具を製造していたという。そしてその材料の多くは、日本から輸入されたもの。竹家具に漆塗りのパネルを組み合わせたコンビネーションはこの時代の流行の花形であった。


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もともとは、シノワズリーの一つであった竹の意匠、それが次第に、明治維新後世界に少しづつ知られていった日本のジャポニスムの代表的な意匠になっていったとはなんともびっくりである。

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その流行が、里帰りして、デザインされたであろう日本の小椅子。明治村の所蔵。竹を模してはあるが、塗装は蒔絵で装飾。籃胎のように竹に漆を塗ることが当たり前の日本ならではか。









2014/12/06

Cocus wood

コーカス・ウッド

何でもそうだが、物事がいったん落ち着くと、それをわざわざ変えようとする奇特な人はあまりいない。だが、それが、落ち着いてから、しばらく時が経つと、人の眼は次第に変化を求めるようになるのは人の性なのだろうか。

20世紀の前半にはある程度落ち着いてしまった英国における家具史。それが、90年代に入った頃だろうか、次第にデザイン一辺倒の変革史としてではなく、技術的な面や、商業的な面からの文献が見直しもされ、博物学的な興味の広がりの中で少しずつ新しい発見があった。

家具材においても、今まであまり認知されてこなかったいくつかの材が、当たり前のようにオークションカタログの説明書きに使われるようになった。

その最たるものが、中南米材であるゴンサロ・アルバス(Goncalo Alves)と、このコーカス・ウッド(Cocus wood)である。

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コーカス・ウッドを使った家具の中で一番有名なのが、ウインザー城に所蔵されているキャビネット・オン・スタンド

イギリスで1660年頃に作られたとされるこのキャビネット、チャールズ1世の妻であるヘンリエッタ・マリアのモノグラムが施された銀細工の飾りが付けられている。

その当時から大量にジャマイカから輸入されたコーカス・ウッド。次第に流行に陰りが見え、18世紀の中頃にはすっかり見られなくなってしまう。


別名ジャマイカ(ン)・レイン・ウッド、もしくはグリーン・エボニーと呼ばれたりするマメ科に属するこの木。ラテン名はbrya ebenus。ローズウッドなどと同じ系統下に属するため、想像通り固い木である。が、その割には加工が良い為か、木管楽器の制作の為、多く使われてきた。

そして19世紀に乱獲。今ではユネスコのレッドブック(絶滅危機の恐れのある動植物に関するリスト)さえ載らないほど絶滅してしまったとされている。材として市場に出てくることは稀で、出てきたときにはかなりの高値が予想される。


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カード・テーブルの天板に張られたコーカス・ウッドのべニア。木自体、とても小さく幹の直径は15㎝程。それをべニアにして張るとこうなっていしまう。濃い茶色の心材と薄い黄色の辺材、そのコントラストから昔の文献では、リグナムバイタやキングサリなどの材とされてきた。

材の特定、特に古い家具に使われた材の特定は、いかに現代の科学が進んでも視覚や顕微鏡を使った細胞の比較しか方法がない。それ故に、一度、権威がこれはリグナムバイタですと言ってしまうと、それが通説になってしまっていた。

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そういう意味での、新しい変化と言うのはとても興味深いと思う。まだまだの新しい発見に乞う期待したい。






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