家具

2009/08/25

Tunbridge Ware

タンブリッジ・ウェア

以前の記事で書いた、タンブリッジ・ウェアの本を読んでみた。
記事は以下で参照。
「箱根寄席木細工」
「箱根寄木細工と、、、」
「「箱根細工物語」」

Blog2

"SHIRE ALBUM"シリーズの一冊。32ページほどの小冊子だが
意外に中身が濃いこのシリーズ。これ以外にも
ウィンザー・チェアーの奴なんかを持っていたりする。

それはさておき、タンブリッジ・ウェア。箱根の寄木細工とほぼ同じ
時期にこの、遠くイギリスはケント州で始まったようだ。本は何故と
いう私の疑問には答えてくれなかった。

その頃の日本といえば、まだまだ鎖国の真っ最中。出島意外では
海外との貿易は無しという状態である。一方、イギリスは、
ワーテルローの戦い(1815年)で宿敵フランスのナポレオンを破り、
まさに破竹の勢い。その後徐々にあの大英帝国、
日の沈まない国、を構築する世界きっての覇権国家になりつつ
ある所。

その二国の似たような湯治地で、似たような意匠を持つ土産物が
誕生したというのは偶然の一致にしては出来すぎているように
感じるのは私だけではないはず。しかし、発明の歴史をみると、
同じような物が、違う場所で、ほぼ同時期に発明されることはまま
存在する。

以前「栄光なき天才たち」という漫画で描かれていた、電話の発明。
グラハム・ベルとエリシャ・グレイという科学者が同じ日に数時間差
で電話の特許を申請したという話。また木工の機械では、19世紀
の中頃、イギリス、ドイツ、アメリカでほぼ同じ時期にバンド・ソー
が発明されたという事。

同じ時期に、同じものが発明されるためには、そこに住む人の
文化的水準がある程度同じではなくてはいけない。狩猟民族は
絶えずご飯を手に入れることだけを考えて生活せねばならず、
農耕をし穀物を蓄えることが出来て初めて、余暇が出来、何か
違うこと考えることが出来る。

ということは、世界の最先端を行っていたと思われるイギリスと
鎖国をしていたアジアの一国、日本が、この時点でほぼ同じ
文化水準を持っていたということが出来る。江戸の文化はそこま
で熟成されたものであったということだ。その後の開国後の
ヨーロッパの日本ブーム、ジャポニスムを見れば納得がいく。
それでも、偶然の一致にせよ、箱根とタンブリッジ、何か共通項
がないものか、事あるごとに、ついつい勘ぐってしまうのである。

「Tunbrige Ware」 Margaret A. V. Gill
Shire Album 130, 1985, Shire Publication Ltd.
ISBN 0 85263 712 8

2009/08/10

Micro mosaic

マイクロ・モザイク

古くは紀元前3世紀頃のマイクロ・モザイクの作品が存在する。
ただしこの頃の物は、準貴石等の自然にとれる鉱物を使用
していたはずで、色合いやグラデーションはその絶頂期である
19世紀の物に比べると劣る。もともと4大文明の一つである
メソポタミア文明の発祥、チグリス・ユーフラテス川近郊が
マイクロ・モザイクの始まりと言われている。

テッセラ(Tessera)と呼ばれる、マイクロ・モザイクを形作る
最小単位のブロック。色ガラスで作られてりて、色々な形の
ブロックが存在する。長方形や三角、丸、葉っぱの形なんて
のもある。下のマイクロ・モザイクはヴァチカンの
サン・ピエトロ寺院前の広場を描写した物。写真をよく見ると
つぶれた楕円形、ソーセージのような形のテッセラが見える。

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テッセラの長さは2~3mm程。細かいマイクロ・モザイクは
1インチ四方に3000から5000のテッセラを使用すると言う。全く
気の遠くなる作業に違いない。

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マイクロ・モザイクの上に2cm前後の1ポンドコインを置いてみた。
寺院のドームの部分は2cm以下の大きさと言うのがわかる。
ちなみにこれはテーブル・トップの一部で、写真のヴァチカン広場
を中心にしてコロッセウム等のローマの七つの観光名所が
マイクロ・モザイクで描かれている。

丁度、ローマのマイクロ・モザイクが最も作られていた
時期である19世紀の物。英国に輸出され、そこで作られた
ギルディング(金箔張り)のベースの上に乗せられていた。かなり
の数がイギリスだけでなくヨーロッパ中に輸出されたようで、
数多く存在するが、ここまで精巧なマイクロ・モザイクの天板は
あまり見たことがない。

2009/06/02

Longcase Clock

ロングケース・クロック(おじいさんの時計、Grandfather Clock)

その昔は、時計イコール時間を測るものであった。日時計や
水時計は紀元前のかなり昔から、人々によって使われてきた。
その日の一日の目安を知る事の出来る日時計。ある一定時間
を計ることが可能な水時計。しかし、この2つはあくまで実際的な
観念を測るものであり、今現在私達が使用している、いわゆる
時計と呼んでいるものとは大きく異なる。

時間を単位として計る機械式の時計と言うものが発明されたの
は14世紀まで待たねばならない。しかし、この頃の時計は1日に
15分もずれてしまうかなり曖昧な物。毎日日時計などによって
修正しなければいけない代物であった。

電池や電気のない時代、時計の動力は主に、ゼンマイか錘に
よる物であった。16世紀になるとあのガリレオが革命的な発見
をする。振り子の周期が振幅によらず一定でだと言う事。これに
より振り子時計が発明され、一挙に時計の精度が上がる。
その後の研究により振り子の長さは1m程が一番精度が良く、
錘をなるべく重くすることによって、8デイズ・クロック(8日間動き
続けることの出来る時計)の登場となる。これで、時計の錘を
一週間に一度上げればよくなったのである。

もともとは壁に取り付けて、錘を下に垂らしてあった時計だが、錘
が重くなるにつれて、何か違う方法で安全に固定する必要が
出てきた。

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そして、考え出された形がこれである。ちょうど1650年頃の話で
ある。一番上の取り外しが出来るフード(Hood)、扉を開けて錘を
上げる。扉に付いた小さな丸い覗き窓は、中の振子を確認する
ための物。時計の本体は一番上、真ん中のボディの部分は錘と
振り子の為の物。初期は6フィート(180cm)ほどだった高さが、
ジョージアンの時代に入るにつれどんどん高くなり8フィートある物
も珍しくない。

意匠に関しては前のブログ「Seaweed Marquetry」を参照。

2009/05/10

"Seaweed" Marquetry

「海藻(?)」マルケトリー

海藻マルケトリーと呼ぶと変だが、シィ‐ウィード・マルケトリーと
呼ばれる装飾がある。その昔は、アラベスク(Arabesque)模様
とも読んでいたが、シィ‐ウィードと呼ばれる方が多いようだ。

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ロングケース・クロック(Longcase Clock)と呼ばれる2m以上ある、
背の高い時計の振子の部分の扉になっている表面の装飾。
長い年月で退色してしまっているが、濃い目の所がウォルナット
(Walnut)、薄い所が西洋ヒイラギ(Holly、一般には。でもシカモア・
メープルかも知れない??)。デザインは海藻と言うよりは植物的
と言った方が正しいかもしれない。

そもそも、この装飾が流行した背景には、時のチャールズ2世
(Charles II 1630-1685)がポルトガルからの王女を娶ったことに
起因すると思われる。このキャサリン・オブ・ブラガンザ
(Catherine of Braganza)は、イギリスの上流階級へ、今は
伝統的である、お茶を飲む習慣を持ち込んだ人として有名であ
る。

そして、ポルトガルのあるイベリア半島はかつてムーア人に
支配され、文化、建築等に、強くイスラムの影響が残る所で
ある。17世紀の終わりから、18世紀の頭のほんの少しの間に
流行したこの装飾。そのイスラムの影響が強く残るポルトガル
から来た王女が何らかの物を持ち込んだとしても不思議では
ない。ちなみに、彼女の名前が残る"ブラガンザ"脚
(スパニッシュ脚とも呼ばれる)と呼ばれる意匠がある。

Spanishfoot_2

一番上の写真の真ん中、右左に走る接合線が走るのが見える。
下地はオークの材。その上にシィ‐ウィードの意匠がカットされた
ウォルナット、西洋ヒイラギの薄板(べニア)が膠で張り付けられ
ている。その意匠をカットするのに最低でも6枚のべニアが同時
にフレット・ソー(Fret Sawと呼ばれる糸のこ)でカットされている。

上半分のパネル用にウォルナットと西洋ヒイラギのべニア一枚
づつ。下半分用にもう1セット、プラス捨てベニアと呼ばれる物が
上と下に一枚づつ。その6枚が膠で接着され、シィ‐ウィードの
意匠が描かれ、しこしことカットされる。捨てベニアは切られた
部分の毛羽立ちを防ぐための物。切られた後、西洋ヒイラギの
バックグラウンドにウォルナットのシィ‐ウィード模様を嵌め込む。
一つを裏返して上下で接合すれば、写真のようなパネルが
出来上がる。

逆パターンはないので、ウォルナットのバックグラウンドに、
西洋ヒイラギのシィ‐ウィード模様は捨てられてしまうのかなと
思ってしまう。その当時のべニアは1分の16インチぐらいと
言われる。約1.5ミリ強、×6枚。1cm近い板を糸のこで切って
いくことになる。それも、今のように目の細かい糸のこの刃で
はなく粗い奴。かなりの労力だったに違いない。

2009/03/19

Oyster Veneer

オイスター・べニア

Blog2_2  

ちょうど1700年になろうかと言う頃のチェストの天板である。
その頃、やっと英国にも入ってきたマルケトリーで彩られている。

花や葉は、西洋ヒイラギ(Holly)もしくはシカモア・メープル
(Sycamore)の薄い色の木、その背景に黒檀(Ebony)。白く
見える部分は、本当は緑に染色されていて、動物の骨が
使われている。本当は象牙が使いたかったのだろうが、高価な為
安い代用品で間に合わせている。そこを縁取る、ツゲ(Boxwood)と
おそらく黒く染色された西洋ナシ(Pear)。その外側が、タイトル
にもあるオイスター・べニアと言うものである。

名前の通り牡蠣に様相が似ているから付けられた。写真の物
はオリーブ(Olive)の木。その他にキングサリ(Laburnum)や
クルミ(Walnut)等が使われる。ベニアを木目に沿って切り出す
のではなく丸太を輪切りにするように、木目に対して角度を付けて
切りだしていく。直角の場合もあれば、45度ぐらいの時もあり、
直角ならば切った面は丸い年輪で出てくるし、45度ならばその円
が楕円になって切り出される。しかし、木目に逆らって切る為、
大概のベニアは2~3mmの厚みがある。薄くすると脆いし、厚く
切ると反りの心配があり、なかなか難しい。しかし、出来
上がったものをみると独特の雰囲気があるパターンが産み
出されている。

しかし、その後マホガニーの時代に入ると、すっかり忘れ
去られてしまう。やはり小口が接着面なので剥がれやすかったり
実用的な面で廃れていったもののようだ。300年経った、今なお
現存するオイスター・ベニアで装飾された家具達は中々いい味を
出して個人的には好きな一品である。

2009/02/19

ベニアと無垢板 その2

6plank

オークの時代、16世紀頃に作られた、俗に言うシックス・プランクト
・チェストもしくはコファー(Six Planked Chest/Coffer)。訳すと
6枚板のチェストとなる。前側、後側、両側面、底板に天板(蓋部)
の6枚の板からなる、一番簡素な家具。接合はカット・ネイル
(Cut nail)と呼ばれる釘。当然、組み手も継ぎ手もないので
構造的には簡単は簡単。しかし、板の反り、縮み、割れ等に
その後悩まされそう。これは無垢故にと言う例。

Chest_2

それ故に、次に作られ始めた板の部分がパネル組みになった
チェスト。これで少しは、木の動きに悩まされなくて済む。

こうやって、徐々に木の製材後の自然の動きをコントロールする
事に成功してきたイギリスの家具製作。しかし、高価な輸入材が
入って来ると、一枚の板から何枚のべニアが取れるかが
死活問題になってくる。一枚板そのまま使ってしまえば、一つの
チェストの天板しか出来ないが、その板をカットして3枚のべニア
に出来たら、3つのチェストの天板が出来る。こうやって、ベニアが
発展したのは経済的な理由もその一つ。

さらに、この輸入材、大概が南洋材である。寒い所でキーンと
育ってきた材と比べると、湿気によって良く暴れる。反ったり、
捻じれたりと、意外に無垢で使うのが大変だと言うのがわかった
と言うのも理由。全部が全部柾目で板が取れればいいが、材に
も限りがある。それ故にの苦肉の策と言うのが本当のところでは
ないだろうか。

ベニアと一言に言っても、19世紀頃まで手鋸で切っていた訳で、
どんなにベテランが切っても3mm程度が薄さの限界だったらしい。
そう考える、ベニアも無垢のただの薄い奴といことになる。だとする
と、日本人が言うところの無垢と言うのは何を指すのだろか。
あまりにも廉価なでたらめな家具が、世に蔓延しているのに対する
アンチテーゼとして使っているのか、それとも、、、、、。

2009/02/16

ベニアと無垢板

Blog2

俗にサーペンタイン・チェスト・オブ・ドロウアーズ(Serpentine
Chest of Drawers)と呼ばれる物である。

天板、一見すると一枚に思えてしまうが、長方形のパインの板が
蟻継ぎで側板に支持されている。そこへ両サイドと前側の
うねった部分の材が芋剥ぎで接着され、そこへ3mm弱の厚さの
マホガニーのべニアが上から張り付けられている。

小口はそれを隠すために縦方向の目でべニアを並べて、前、
両側面の3面に対して張りつけられている。

メインのパインの天板は、せいぜい12mmの厚さ。時間の経過と
共に起こる乾燥による縮みにより、メインのパインの天板部と
前横のうねった部分の板との接合部のちょうど上のべニア部分
に割れが走る。挙句に上下のずれにより段差が出来た状態に
なっていた。

ある程度大きな天板だと、その両端にクリート(Cleat)と呼ばれる
天板の横に流れる木目に対し縦の木目の細い部材が、反り止め
として取り付けられる。本核平剥ぎ(Tongue and Groove Joint)と
呼ばれる接合法が一般的なのだが、この天板の場合、ただの
芋剥ぎ。意味ないじゃんと言われそうな通り、接合部の上の
べニアにまんまと亀裂が入り、ずれが起こっている。 

これを修正するのは至難の業。小口面のべニアをすべて除去し
、クランプで表面をフラットにした後に小口からダボを打ち込む。
何でこんな大変な事をするんだろうと思うかも知れない。一枚板を
天板の形にカットして付ければいいんじゃんと。特に無垢板信奉
が強い日本人はなおさらかも知れない。

しかし、実はベニア張りのおかげで、天板の真ん中に亀裂が
入らなくて済む訳で、中途半端に乾いた板なんかを使った日には、
目も当てられない状態になってしまう。

次回に続く→

2008/11/26

Specimen Marble Top

スペシメン・マーブル・トップ

Blog5

スペシメン・マーブル・トップと呼ばれるものである。イギリス家具
としては18世紀の後半以降から、良く見られるもの。その
ほとんどがイタリアからの輸入物で、イギリスの現地で作った
脚(ベース)を合わせてテーブルを作る。

普通は直径40~50cmの小さいものが多いが、写真のように
1mを超える大きなものもある。表面は、113種類の様々な
マーブル、半貴石(または準宝石)と呼ばれるラピス・ラズリ、
マララカイト、ブルージョンなどで飾られている。デザインと言う
よりはサンプル・ピース、カタログ的な意味合いが強そうな物
である。

このテーブルの脚はローズウッド製のかなり彫刻の入った物。
時代的にはヴィクトリアン中期の物と想像するが、このテーブル
でご飯を食べたとは思い難い。あくまで、ショールーム等に
置かれていた物であろう。

それにしても何とマーブルの種類の多いことか。中には閉鎖して
しまった石切り場からの物も少なくない。主な産地はイタリアを
筆頭にギリシャやポルトガル、フランスとスペインの国境に跨る
ピレネー山脈付近でも良質なマーブルが取れる。

いったい、どうやって加工したのか?、と言う疑問がいつも付き
まとう。19世紀には蒸気の力が使われだしたので、切る事や
研磨する事は容易になったに違いないが、それでもこの天板を
作るには相当の労力を要したに違いないと思うのである。

2008/11/24

Folding Ladder

折りたたみ式梯子

先日、たまたま見た「開運! なんでも鑑定団」で、ふと目に
着いた一本の梯子。作ったのは江戸時代中期の名工、
小林如泥(1753~1813)によるものと言われている。
この島根県松江市寺町の長満寺にあるこの梯子、写真では
材質まではわからなかったのだが、片側の棒の部分を
押し上げるともう一つの棒と重なり、一本の棒のようになる。

Blog1_2

上に写真の左側の棒を、右の棒の方、斜め上に押し上げると
脚をかける所がすべてうまく収納されて、一本の棒のように
なるのがわかる。ただし、上の写真は18世紀のイギリス製。
マホガニー材で出来ており、主に書斎、図書室などで使われる
為に考え出された。

この両者、細部こそ違うだろうが、日本とイギリスで同じような
時期に、同じようなデザインが産み出されたこの偶然の一致。
得てして、実用性本位のデザインを突き詰めると似たような
デザインに遭遇することはままありうるが、ここまで似通った
ケースは珍しいと思う。実にこの梯子の詳細を知りたいもの
である。

インターネットで見つけた唯一の画像→こちら

2008/10/15

Pugin

A. W. N. Pugin
(Augustus Welby Northmore Pugin 1812-1852)

オーガスタス・ウェルビー・ノースモア・ピュージン

18世紀の後半から、簡単に言うと、うねうねしたロココ意匠の
軽々しさと言うか、軽薄さに飽き飽きした人々が、原点回帰と
して、ゴシックを本質的な美としてとらえる運動が、俗にいう
ゴシック・リヴァイヴァルの始まった。。

フランスからの移民の子であるオーガスタスはドラフトマン
(製図工)の父の影響もあり、装飾家、そして建築家へと歩んで
いく。カソリックに改宗した彼は、深くゴシック・スタイルに傾倒し
建物だけでなく、インクスタンドや帽子掛けなどの、小物家具や
照明器具までもをデザインするようになる。

ビック・ベン(Big Ben)で有名なイギリスの国会議事堂。1834年に
火災により大半を焼失した後、1836年の公募により
チャールズ・バリー卿の現国会議事堂の原案を採択し竣工される。
オーガスタスはバリー卿に乞われ、そのデザインを手伝うことに
なる。

このプロジェクトで彼が書いた図案は2000枚に及ぶと言われる。
ゴシックをモチーフにした無垢のオークの家具は今も、
国会議事堂で使われている。

Pugin

上はオーガスタスがデザインしたサイド・テーブルを横から見た物。
簡潔な、すっきりとしたデザインは教会の長椅子(Pew ピュー)を
想像させる。もともとはオーガスタスと親交のあった2つの会社
クレイス(J. C. Crace)とホランド・アンド・サンズ(Holland and sons)
が家具の制作を担当したが、その後ギロー(Gillow)も加わる。

このテーブルはギロー製で、"GILLOW"とシンプルなヴィクトリア期
中期に見られるスタンプが、天板下のフレーム、下側に押してある。
もちろんオーク製、この頃流行りのワックスのみで、仕上げられ
ている。ヴィクトリア期後期になるとこの手の物は何でも、一般
のゴシックのイメージの真黒に着色されてしまう。大概は
まっすぐ通った柾目が材として使われるので、木目の面白さ
こそあまりないが、しっかりした落ち着きを感じさせる。

面白いことに、国会議事堂で使われる家具は、未だオーガスタス
のデザインした意匠で作られる(恐らく作られなければいけない)。
だから、同じ意匠の家具でもヴィクトリア時代に作られたものから、
現在の物まである訳で、なんだかイギリス人の不思議なこだわり
を感じてしまう。

2008/07/02

Ivory Tea Caddy

アイボリー・ティ・キャディ

Blog

今では、アルミの真空パックなどの、完全にお茶の香りや味を
封じ込める事が出来る文明の利器が存在しますが、その昔は
ティ・キャディと呼ばれるものに入れて、鍵までかけられて、家庭で
保存されていた物なのでした。

そもそも、イギリスがお茶と出合ったのは17世紀と言われています。
最初は、コーヒーと同じく、薬のような飲まれかた、それが、
チャールズ2世の奥方、ポルトガルから嫁いできたお姫様がお茶を
飲む習慣を、本国から持ち込み、上流階級に広めました。その後、
お茶に砂糖を入れて飲む習慣が広がり、お茶、砂糖の輸入が増えた
そう。

しかし、まだまだ庶民の手に届く物(大体高校卒業したばかりの子
の年収ぐらいの感じ)ではなく、今の感覚では考えられないぐらい
高価な代物。しかし、上流階級で習慣として定着した為、それに
伴い色々な家具がデザインされました。お茶のポットやカップを
載せた銀のトレイの形が、そのまま天板の形になっている、俗に、
ティ・テーブル、もしくはシルバー・テーブルと呼ばれる物。ポット
を乗せる為のケトル・スタンド。そして、お茶をしまっておく
ティ・キャディ等など。

あまりにも高価だったお茶、ティ・キャディにしまい、鍵をかけ召使
などにも触らせない。中は、鉛張りで、密閉が出来るようになって
います。このティ・キャディ、メインに象牙、黒い線は鼈甲、真ん中の
プラークはシルバー製。高価な物を入れるため相応とも言える箱の
仕上がり。やはり、高価な物は、小洒落た入れ物に入れたいのは
人の性。このほかにも、果物の形の物や、大き目の箱を開けると
2つの違った紅茶の葉のコンパートメントとガラス製の混ぜる為の
ボウルが入っている物など、多種多様。世界中にコレクターがいて、
目が飛び出るほど高価な金額で取引されています。

2008/04/30

Made in Japan

Blog1

某コレクションの1つである1800年ごろのナイフ・アーン
(Knife Urn)。アーンは日本語で飾り壷の事。一番上の
フィニアル(Finial)部を持って、引き上げると中に、ナイフが
収納されている。イギリスでは18世紀後半に流行した形で
サイドボード(Sideboard)、その両脇にペデストール(Pedestal)
が置かれ、その上にこのアーンが載るというのが、
ロバート・アダムの時代に流行りだしたダイニングルームの
スイート(Suite)である。

もちろんイギリスで流行った物は、その頃の流行に則り
マホガニー製。(下の写真参照)上の物は、ヒノキの躯体に
黒の漆、青貝の装飾の日本製である。

Blog2_2 

しかし、2つを較べる限り、全くの同じデザイン、漆塗りの
物はどこで、どうやって作られたのかと言う事になる。

当時の日本は鎖国中。長崎の出島が唯一の貿易を
許されたオランダ人が入国できる所。しかし、その貿易を主に
取り仕切っていた東インド会社は、フランス革命の余波で
受けた本国のフランス革命軍による占領によって解散に
追い込まれていた。オランダの管轄領であったバタヴィア
(現インドネシアの1つ)は何とかして日蘭貿易を続行させようと
するが、オランダ本国からの船は途絶えてしまった為、
それも苦難。そこで目を付けたのが独立戦争が一段落した
アメリカの船、これをチャーターして長崎に向かわせた。

そのうちの1隻が、マーガレット号で、その船長である
サミュエル・ダービィが買い付けたナイフ・アーンがアメリカ・
マサチューセッツのピーボディ・エセックス博物館に
残っている。これが、また上の黒漆塗りのナイフ・アーンと
瓜二つであることから、このアーンもマーガレット号の荷物の
1つであった可能性も考えられる。

積荷の漆器は船が4ヶ月停泊している間に、発注されて、
製作されたらしい。さて、誰が作ったかということだが、ヒノキ製
である事から、日本で作られた事は間違いない。

あるオランダの事務官の日記に寄れば、西洋のデザイン
の物を作らせる場合、細かい所まで精細に注文をつけないと、
自分(和風)の感覚で勝手に解釈してしまい、物が台無しに
なってしまうと、愚痴っているので、本物の(恐らく)マホガニー
製のナイフ・アーンを持ってきて、これと同じデザインの物を
作れと発注したに違いない。

この数年前にフランクリン号が同じよな、アーンを22個発注
している記録がある、マーガレット号も同じように発注したと
すると50個あまりの似たような日本製のナイフ・アーンが世界
に存在している事になる。

こういう事例がもっと研究されると、かなり興味深いのだが、
発注先が京都・笹屋、綿屋と言う所で、止まっている様だ。
ただ、4ヶ月で22個のアーンを作ってしまう辺り、かなり多くの
職人を抱えていた、組織的な店だったに違いない。

参考文献:神戸市立博物館研究紀要第19号

2008/04/23

Pot Cupboard

ポット・カップボード

Blog1

ポット・カップボードと呼ばれるこの家具、18世紀後半の
物である。チッペンデール(Thomas Chippendale)の
家具カタログ「ディレクトリー」の頃は、ナイト・テーブルと
呼ばれていたようだ。その後シェラトン(Thomas Sheraton)の
本には、「Pot Cupboard」と明記してあるので、19世紀頃
からは両方使っていたようである。

さあ、このポット・カップボード。文字通り、ポットを収納して
おくカップボード(キャビネット)である。陶製のポットは、その
当時の便器。大概はベッド脇においてあって、ポットの
嵌っている便座部分を引き出して、用を足すわけである。

Blog2

かの、あの広大なベルサイユ宮殿にほとんどトイレが無かった
ように、日本の厠に相当する物は、この当時はまだ無い。
用を足したあとのポットは、召使が来て、綺麗にするわけだが
19世紀中頃までは、外へポイッ、というのが一般的だったようだ。

19世紀初頭にヨーロッパでコレラが大発生して,若干の改良が
試みられるが、一般的には20世紀頭までは、このタイプが
まだまだ流通していたようだ。そう考えると、当時の家の中や
外の匂いと言うのは、もの凄かったに違いない。さらに、それを
隠す為の香水やらの匂いも混じり、どんな匂いだったか、ある
意味では興味深い??。

さすがに、下水の整いだした20世紀以降は、ポット・カップボード
として使用はされていないようなので、家具自体、匂いはもうしない。
それでも、マホガニー製の座面部を触ったりするのは、なんか
変な気持ちがしてしまうのは私だけであろう。

2008/02/27

Pineapple

パイナップル。

僕の小さい頃は、パイナップルなんて缶詰でしか見た事なくて、
高価な為か、希少な為か、風邪を引いたときぐらいしか食べた
事がなかったなあ、と言う記憶がある。

Pineapple1

上は、19世紀前半リージェンシー時代のカードテーブルの
ペデストール(脚柱とでも訳すのか??)の部分。何と意匠に
パイナップルが使われている。あの寒いイギリスに熱帯の
パイナップル??

ちょっと調べてみると、パイナップルがヨーロッパにもたら
されたのは15世紀末、コロンブスが中南米を発見した以降。
これは当然と言えば当然。イギリスでは17世紀後半の
チャールズ2世の時代に初めてイギリス産のパイナップルが
収穫されたらしい、、、、、。(もちろん温室の中で)

Pineapple2_3  

上の絵、Hendrik Danckertsが1675年に描いた物。

王室お抱えの庭師、ジョン・ローズがイギリスで始めて育った
パイナップルをチャールズ2世に差し出す所。

そう考えると、パイナップルの意匠もそんなに驚くべき物でも
なく、家具作家もしくは発注者であるパトロンの洒落っ気と
言った所だったのでしょうか。

2008/02/24

Parquetry??

パーケトリー??

マルケトリー(Marquetry)の1つに、パーケトリーという
物がある。

もともとは家具の装飾と言うよりは、床材の装飾として発展
したものに違いない。マルケトリーの技法を使い幾何学模様
を作っていく。

Blog

上記は18世紀のフランス製のジュウェル・キャビネット
(Jewel-Cabinet)の下の棚部分の装飾。

下地の橙、黄色っぽい色のはサテンウッド(恐らく)。
緑色のは、ヒイラギか、シカモアメープルを染色した物。

ぱっと見るとパーケトリーのようだが、良く見ると下地の
サテンウッド、全部木目が繋がっている事がわかる。
つまり、装飾の無いサテンウッドを下のベースの木に
張った後に花とラインの装飾を施した物。

この方法は、普通使うナイフに60cmほどの木の柄が付いた
工具を使う。両手で柄のナイフ側をしっかり握り、柄の
先の部分を肩に乗せることによって安定させ切り込んでいく。

詳しくはYannick Chastang氏の"Painting in Wood"に詳しい。

フランス家具にはこの手のパターンが色々あり、それによって
製作者をある程度推測する事が可能であったりする。

2007/11/22

"Pie-Crust" Table

”パイ=クレスト”テーブルと呼ばれるテーブルがある。

一般的には、18世紀の中頃、お茶を飲むのが流行し始めたのに
伴うように、使われるようになった俗にいう”ティー=テーブル"に
少し変わった丸天板が付いた物である。

ウォルナットの時代の3本脚の蝋燭立てがマホガニーの時代に
変わり、世相と共に、ニーズに伴うように紅茶を給仕する為に
デザインされたテーブルである。軽く、天板が裏の脚への接続部を
軸に直立する為、使わないときは部屋の隅へ置いておける。

秀逸なのは天板のデザイン。

天板の際の部分がやや高く、ホタテ貝殻模様(わかりづらい)で
ぐるっと、彫刻されている。パイの外側の際の所に似ている所から
”パイ=クレスト”と呼ばれるのだが、誰がこんなデザインを思いつ
いたかてんで見当が付かない。

ただ、このデザインのテーブルは結構残っているので、人気の
デザインの1つだったに違いない。

(↑の説明わかりづらいので写真見てください。)

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