家具

2021/03/07

Corner Washstand

コーナー洗面台

 

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今の生活が当たり前すぎて、100年、200年前の生活を想像するのは難しい。

現在に残る建物や、家具、調度品等だけを見て、今と変わらないやとか、豪

華な物を使っていたと感じてしまうのは当たり前。

 

時間が経つと消えてしまう物、匂いの欠如と言うのは、過去を無機質な物に

変えてしまう。まあ、それを再現するととんでもないことになるのは想像が

つくが。

 

あの広大なベルサイユ宮殿に一つもトイレがなかったというのは有名な話だ

が、18世紀においても、その事実はあまり変わりはない。ある程度裕福層の

邸宅では、各ベッドルームと呼ぶ私室には、ウォッシュスタンドとか、ポッ

ト・カップボードと呼ばれるトイレ的な物が存在していた。

 

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これは、残念ながら、上からマホガニーの板が付加されていて、本来あった

べき、洗面器を置くための穴隠されている。現代の生活には不向きな物は、

使い勝手の為に改造されている事は良くある事。

 

トイレに相当する、ポット、大概は陶器製の取っ手の付いた大きなジャグの

ようなもの。その下の扉の中に収納する。

 

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勿論、ポットは存在しない。

ベッドルームで用を足し、そこへ仕舞う。召使いが定期的に、どこかへ持っ

て行き、始末する。18世紀の終わりにはテームズ川沿いの邸宅は、下水施

設が出来ていたようである。要は、川に流すだけの話だが。

 

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その下の引き出しには、何を入れたのだろうか?

ブラシやちょっとした小物を入れていたに違いない。

 

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一番下の貫の部分には、円形の挽き物が枠の様に張り付けてある。水瓶が

置けるようになっている。恐らくは、上に置く洗面器と下の水瓶、同じお

揃いのデザインで作られていたのだろう。

 

このコーナー用のウォッシュスタンド、どうもある時期にだけ流行った物。

マホガニーのべニア張り製に柘植材のストリンギング。もうこの頃には、

マホガニー材の無垢の家具はあまり存在しない。このデザインは、裕福層

が増えだした18世紀後半、トーマス・シェラトンの家具デザイン書が出版

された1790年以降に見られる。

 

しかし、20年後には、まったく作られなくなる。流行り廃りは時代の性。

今も、昔もあまり変わりはしない。

 

だが、造りのいい物はやはり残っていく、という事は間違いない。

 

 

ただ、想像して欲しいのはベッドルームの中の匂い、ひいては家の中の

匂い。外の匂い、川の匂い。正直あまり、想像はしたくない、、、。

 

 

 

 

2021/02/14

Queen Anne Dressing Mirror

アン女王時代のドレッシング・ミラー

 

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この手のタイプ、アンティーク家具の入門としては手頃な一品ではないだろ

うか。トイレット・ミラーとかドレッシング・ミラーと呼ばれる。

 

それこそ、私が小さい頃は、三面鏡の付いた化粧台(机)が、一般にお母さん

たちが使っていた形。

 

歴史的に見ても、男女共々身だしなみを整えるのには鏡が必要である。14世

紀にイタリアで、水銀法によるガラスを使った鏡が発明されて以来、かなり

長い間、大きな盤面な物は作れなかった。鏡と言うよりは、ガラス制作に

おいて限界があったという理由で。17世紀後半に作られたベルサイユ宮殿

の鏡の間のように、大きなものが作れるようになったのはかなり後。まだまだ、

高価な物であり、普通の人には高嶺の花であった。

 

初期のドレッシング・ミラーは、ただの枠付き鏡。装飾と言うよりは、鏡の

小口と裏側を保護するために付けられたものに違いない。それが、家具製作

技術の向上と共に箱に鏡がついた形へ変わっていく。

 

オランダで作られた物が、最初でと言われているが、きちっと年代が判る作

は知られていない。チャールズ1世の血を引くオランダ提督、ウイリアム

3世がイギリスで王に即位するに伴い、ヨーロッパの流行が流れ込んできた。

 

アン女王は、ウイリアム3世の義理の妹。スチュアート朝最後の王である。

家具史でも、この時代辺りに、オークの時代から、ウォルナットの時代へと

移行していく。重いオークから、明るく、軽やかな色のウォルナットへ。

 

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経年変化で、今はかなり暗く見えるが、新品の時はもっと明るかったに違い

ない。シンプルなバン・フィートと呼ばれるお饅頭脚がこの頃の定番。

 

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今では、同じ色に見えるが、ヘリボーンと呼ばれる、横向きのべニアがア

クセントに取り入れられている。

 

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引き出しの接合部は、蟻ほぞ組み。手工具だけ考えると、今、私が使ってい

るものとほぼ変わらないのではないかと思うぐらいのクオリティ。

 

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引き出しを、取り除くと、ウォルナットのべニアがパイン系の躯体に貼られ

ているのが判る。

 

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横から見ると、鏡を支えるアップライトが、少し後ろに傾いているのが判る。

テーブルの上に置いて、自分の顔を見ていた。引き出しには、櫛やら、髪飾

をしまっていたのではないだろうか。

 

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裏側も、ほとんどオリジナルが残っているように見える。箱部の背板はオーク

製。

 

ひとえに家具と言っても、3種類の違う材が、当然のように使われている。

コストのせいであったり、耐久性の為であったり、ちゃんと理由がある。

しかし、300年後のこの現代の暖房事情を考えて作られている訳でなないので、

この違う材の性質の違いが、割れや、反り、剥離をおこすことが多い。

 

これから、何年先を見据えて直していくのか?

 

果たして50年後には、修復と言う仕事は残っているのか?

 

未来に残せるものは何だろうと、一人思う。

 

 

 

2021/01/17

Six Plank Chest

6枚板のチェスト

 

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チェスト、またはコファーと呼ばれるこの形は、古代エジプト時代から続く

家具の形である。

 

特にこのチェストは、前後の板、2枚の側板、底板に天板の6枚の板を組み合わ

せ釘を打っただけのシンプルな構造。そもそも、丸太から平板に製材するのが

難儀だった時代。古くは15世紀辺りから作られたものが現存する。

 

勿論シンプルが故に、かなりのちの時代まで作られ続ける。ただ、無垢板を贅

沢に使った造りに、板の反りや割れなどの要因から19世紀ぐらいには非効率と

してあまり見られない。機械が発達して、板の収縮に対応したパネル組みの構

造が廉価出来るようになったことなどが要因なのか。

 

古い物の方が造りが粗いと思っている人は多い。プリミティブと言う言い方が

使われることが多いが、そもそも、造りの悪いものが長い間、使われ続けるこ

とは、歴史上あまり見られない。イケアの家具が100年後に使われ続けている

とは思えないように。

 

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錠は、軟鉄製。

変わった形の鍵穴が見える。カット釘と呼ばれる釘で4隅が固定されている。

この手の釘は曲者で、かなり柔い。下穴無しで打ち込んでいくと、節などのか

たい部分は見事に避けて曲がりながら打ち込まれていく。日本の建築物などで

使われるものとほぼ同じである。

 

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材は楡材。薄い黄色い木である。酸化すると、オークのように黒くはならず、

美味しそうな蜂蜜色に変色していく。端の側板に釘が打ち込まれているライン

にそれを目立たなくさせるように簡単なチップ・カービングが施されている。

 

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中は当然ながら無塗装。板の反りのせいか、底板と前板の間にかなり大きな

隙間が見える。暖房の効きすぎた現代の家では、さらに多くの縮みや反りが

起こるに違いない。

 

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虫食いや摩耗のせいか、かなり側板の脚がすり減っている。当然板の厚みも、

均一ではない。天板の端にも同じカービングが見える。

 

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裏板には製材時の鋸、ピット・ソーの跡が残されている。こちらも、無塗装で

本来の木の色が判る。

 

アンティーク市場にも、よく出て来る一品であるが、なんせ造りが粗い為、後

年に手が入っていることが多い。ワックスのみで仕上げているものが多いので

剥離剤をかけると一発で古艶がなくなってしまったりする。その中でも、時々

良い感じの物に出会ったりすると、思わず購入してしまいたくなるが、大概の

サイズがオーバーサイズなのが玉に瑕ではある。

 

 

 

 

 

 

 

2020/07/06

Goa Work Box

ポルトガル領ゴア製の作業箱

 

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小ぶりな箱。

かなり特徴のあるパーケトリーのデザイン。イスラム教由来のアラ

ベスク文様を彷彿とさせる。チークの材に黒檀、そこに象牙もしく

は骨で象嵌が施されている。

 

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上から見ると、少し重ねた円のデザインが良く分かる。

 

これが作られたのはゴア。16世紀半ばから、ポルトガル人のアジア

貿易の拠点になった都市。もともとは、イスラム国家ピジャブール

王国の重要都市だった。ゴアを奪われた後、ピジャブール王国は何

度かかの地奪回の為に兵を送るが、ことごとくポルトガル人に退け

られた。

 

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鍵穴周りの金具、エスカッチョン。やはりインドだけあって真鍮製。

糸鋸を使った繊細なデザイン。植物をモチーフにしたものだろうか。

 

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裁縫箱だろうか。下は引き出し。上の蓋を開けると、いくつかのコン

パートメントが見える。蓋裏にも装飾が。手の込んだデザイン。

 

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左上の、鍵の付いたところには貴重な物でも仕舞っていたのだろ

うか。錠や蝶番などの金具などはかなり雑。これは真鍮ではなく、

鉄合金製。

 

この、インド、スリランカで作られた俗に言う植民地家具。かな

り地方色がはっきりしていて興味深い。材も、黒檀やローズウッ

ド、チーク。あの甘い芳香の白檀も良く使われている。そこに、

象牙(もしくは骨)。そこに、飾り金具は銀色で彩られる。ここで、

作られた物は、江戸後期、明治期に洋家具を作り始めた日本の職

人のデザインに大きく影響していて面白い研究課題でもある。

 

2020/02/09

キネティック・アート

KINETIC ART

 

キネティック・アート。

 

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現代美術用語辞典によれば、

 

"【動き】を取り入れた芸術作品の総称。静的な彫刻に対し、

自然力、動力、人力で動くオブジェを指す"

 

とある。

 

 

私自身の印象によれば、風で揺れ動くモビールや写真のこっち側の一つの玉を弾くと、

玉の運動エネルギーが隣の玉を伝わっていき、反対側の端っこの玉が、弾ける。

そして、その戻ってきた球が、隣の玉を弾き、運動エネルギーが伝わり、と

永久機関のモデルとして記憶にある。

 

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どちらにしても、野外であれ、屋内であれイメージはオブジェ。

使えるものではなく、見るもの。

 

 

先日ひょんなことで、見たテーブル。

 

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コンピューター制御された、鉄の玉が砂の上に模様を描く。

 

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特別なテーブルの中にデザインされている。

 

 

 

 

 

 

 

 

2019/03/16

Black Japanned Longcase Clock

疑似蝋色漆塗りホール時計

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英語で書くと、しっくり行く感じだが、日本語に訳してみるとなんだがよくわからなくなる。日本にあまり存在しないものだと、上手く表現が出来ない。「大きな古時計」の唄のおかげでイメージは沸くと思うが。よく使われる、グランドファーザー・クロック(おじいちゃんの時計)は米語の為、あまり英国では使われない。


ロングケース・クロックと呼ばれる時計は、小ぶりなものが出る前の形。胴の部分の扉を開けると、中は空っぽ。時計のメカニズムは一番上の文字盤の後ろ部分。錘の重さで動かしているので、その下がっていく距離を稼ぐために長い胴をしている。でも、そのおかげで7日間動き続ける。理論的にはもっと高い所に置けば、もっと長く稼働するのだろうけど、あまり現実的ではなく、週に一回ゼンマイを巻いてあげれば良いという事で落ち着いている。17世紀の話。


全長が2m40㎝を超えるので、さすがに上に吹き抜けている玄関ホールに置かれていることが多い。そういう訳で、ホール時計と呼んでも差し支えないと思う。


17世紀から18世紀を通して作られるのだが、その時その時の流行を反映していて面白い。


このロングケース・クロック、ジャパニングと呼ばれる疑似漆塗りの仕上げである。この疑似漆の技法、ヨーロッパ中で見ることが出来る。シルクロードを通して、アジアとの貿易をしていたベネチアが漆器に触れた最初。そこから、海路によるルートの確立で他の国々でも多く行われたようだ。


英国では、1600年の東インド会社の設立以降、定期的にアジアの漆器が本国にもたらされるようになる。輝く漆器の存在は、かなりヨーロッパに衝撃を与えたようだ。故に、誰もが欲しがる一品となり、生漆を現地から持ってこれない事が判ると、多くの疑似漆職人が生まれた。一番有名なジャパニングの指南書であるストーカーとパーカーによる本が出たのが1688年。この本が、ジャパニングと言う言葉を使った最初の本と言われる。(ただし、一般には浸透していたかは疑わしく、家の資産目録などではインディアン・ワークなどと呼ばれることが多い)


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その頃には、ジャパニングは一つの産業になったと考えてよい。その需要に合わせるように、東インド会社も、デザインやモデル、はては職人までをも現地に送り、かの地(主に広東周辺)での制作に力を入れ、多くの物を輸入してくるようになる。


面白いのは、アジアからの輸入が多くなってくると、組合が一致団結し、政府に対して嘆願書を出していること。現存しているこの嘆願書、1710年頃の物とされる。


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ジャパニングの構図をよく見ていくと、モチーフこそ、中国風やインド風だが構図は左右非対称の日本的な構図が多い。上の嘆願書にもあるように、東インドからのと書かれているように、一般人にとってのアジアは、インドより東は皆一緒。度もその中で、あえて日本の物を引っ張り出して、ジャパニングと付けるあたりは、その品質の高さが伺える。


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そこここに、日本の輸出漆器に使われたデザイン・モチーフが見える。


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上は、ジャパニングのビューロー・キャビネット。

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こちらは、中国の漆塗りの太鼓。

ジャパニング、疑似漆塗りと言えども、良く出来てるのである。特に、清の頃の漆器のデザインは余白をまんべんなく埋めるタイプが多いので猶更ではなかったのではなかろうか。それに比べ、余白の多い日本のデザインはその分、磨きがさらに必要とされ、光沢度が高かった故に、インパクトも高く、疑似漆がジャパニングと呼ばれるようになったのは、そういう理由ではなかろうか想像するが、どうだろう。



ちなみに、ロングケース・クロックは18世紀前半の物。

 





2018/11/25

携帯チェスセット

Traveling Chess Set

実は、今まで知らなかったのだが、チェスは古代インドのゲーム、チャトランガというゲームが基になって始まったとされているそうだ。

日本の将棋もこのゲームから発展した一つの様で、道理で基本的なことが似てるはず。もとは同じでも、発達した地域によって、ルールが少しづつ違うのが面白い。

取った駒の扱いはその一例で、もう使えないチェスと、また自分の駒として使える将棋。戦争や死生観に関する文化の違いが露骨に出たりする。

そのチャントランガがペルシアを経て、ヨーロッパに渡り、ルネッサンスの時代にはチェスに関する本まで出ている。ただ、ヨーロッパ中に広まったのは17世紀ぐらいまで待たなければいけない。


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シンプルな携帯用チェスセット。使っているマホガニーと造りを見ると1800年前後のジョージ3世の時代に作られたものではないかと思う。

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表面の板には、「プラム・プディング」と呼ばれる木目のマホガニー。取っ手と言うよりは押しボタンの白いものは恐らく象牙。

この時代に、携帯チェスが必要なのはやはり船旅か。まだ、蒸気船の出現はもう少し先の事で、この頃はいまだ風任せ。

その船旅、チェスするぐらいが唯一の娯楽だったのではないだろうか。

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本の様に、上下が蝶番で止まっていて、広げるとチェス盤が顔を出す。

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秀逸なのは、駒が落ちない様になっている所。途中でも止めて、そのまま畳んで、また再開できること。

柘植の白い四角に、ローズウッドの黒の四角。

駒は、象牙もしくは骨。赤は染料で染めてある。

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駒一つ一つの裏には真鍮の金具が埋め込まれています。この部分が、四角いマスの中央の穴に刺さるわけです。でもそれでも、逆さまににすると落ちてしまう。

そこで、

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蓋のマホガニー板とチェス盤の間にあるメカニズム。

左の白い棒が、正面から見たときに、飛び出している押しボタン。

灰色の物は薄い鉄板です。鉄板の右奥には板バネ。

今は、固定してある状態。

これを、リリースすると、板バネが鉄板を押し、左の方へ少し動く。

そうすると、木の下穴に、鉄板のだるま型の穴の大きい穴の部分が並ぶ。そうすると、駒を抜いたり、刺したり出来る。

しかし、押しボタンを押すと、鉄板のだるま型の穴の小さいほうが、駒の真鍮の金具の刻みの所にはまり、固定される。


良く出来てます。


やはり持ち歩くものだけあって、あまり現物が残ってないようで、私自身も初めて見た一品。


クリスマス・プレゼントには少し贅沢すぎるか??

 




2018/10/14

Oak Hall Stand

オーク・ホール・スタンド


ホール・スタンドと言われる家具がある。


日本では、玄関にあるのは大概靴箱に相当する、棚であり、家具であるが、一般的に室内で靴を脱がない欧米では、玄関先にホール・スタンドというものを置いていたりする。


男性が帽子を被って外出するのが一般的になる19世紀以降に多く作られたようである。


つまり、帽子や外套をかけるための台。


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アンティークの市場では、よく目にするこのホール・スタンド。

濃すぎないオークの色と真鍮の金。ビクトリアン中期に流行したゴシック・リバイバルの流れをくむデザイン。

この頃作られた、新しい国会議事堂の家具とも相通ずるところがある。

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後ろに、メーカーのエナメルのタグが付いている。

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今、現在も
ヒールズ(Heal's)があるトッテナム・コート・ロードにあった家具店シュールブレッド。

生地屋として始まったシュールブレッドも1850年代ぐらいからは、ハロッズのようなデパートとして営業していた。

市場で出回っている同じ型のモデルの数を見ると、かなりの売れ筋商品だった事が判る。

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特徴的な真鍮の飾り金具。

他の金具の裏を見てみると、

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S.HALL & SONSと読める。

ホール・アンド・サンズはバーミングハムにあった真鍮屋さん。真鍮金具はそこで作らせた納品させていたようだ。

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1874年のカタログにも、ホール・スタンドは掲載されているが同型はないようだ。

しかし、現物が多く残っているので、こんなバリエーションがあったことがわかる

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同じデザインの背の高い版。


アンティークには2つと同じものはないといわれるが、吊るしとして売られていたビクトリアン後期の頃の家具には、その頃のベスト・セラーの家具なんかがあったりして、数がいくつも存在するものがあるのである。




2018/07/29

Sunburst Mirror

サンバースト・ミラー


サンバースト(sunburst)という単語辞書で引いてみても、この意味を一言で表わす言葉は見当たらない。そのまま単純に訳すと、太陽が爆発したという事になるが、一般には、その太陽が爆発した様子をディフォルメしてデザインしたパターンの事を言う。


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幾何学的な模様が使われたアールデコの時代。

今から100年ほど前に、流行になったデザイン。

サンバーストのデザインは、建築や、内装デザイン、家具にまで見ることが出来る。


ロスアンジェルスにあるウィルターン劇場。1931年に建てられた、アールデコ様式の建物。そこにも、サンバーストのデザインが見られる。


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入口ホールの天井。プラスターによる造形。



さて、このミラー、いつの時代の物かは定かではない。

調べてみると、フランスを中心にヨーロッパで始まったアールデコ期、1920年頃からどうやら60年代まで様々な国で作られていたようだ。それだけ、人気のあったデザインであったのだろう。

個人的には、鏡の周りの縁のデザインで、スペインやイタリアで作られたものではないかと思っている。


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オイルサイズによる金箔張り。

見れば見るほど不思議なデザインではある。


ちなみに裏側は、、、、。


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俗にいう真鍮やブロンズを削って作ったブロンズ・パウダーで塗装されている。

躯体はもちろん木製である。

マカンバのような目の詰まった白っぽい材が使われている。



2018/05/28

歴史的な木製学校家具を救え!

Save Histrical School Furniture!


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家具道具室内史学会のメーリングリストで知ったこのプロジェクト。

「歴史的な木製学校家具を救え! 九大什器保全活用プロジェクト」

正式には上のような名前である。

要は、今現在の九州大学箱崎キャンパスから、完全に移転するにあたり、それを機に廃棄されようとしている従来のオリジナルの学校家具群を何とか救おうとするためのプロジェクト。


イギリスでは、全面改装によりすべてを一新する場合、全ての物をオークションにかけたりするのはよくある話で、ロンドンのサボイ・ホテルが改装された時に、かなり大掛かりなオークションが行われたのを覚えている。


経済的に付加価値があるものは、そうやって生き残っていくが、単なる歴史的価値のみの場合、それを価値ともみなされず破棄される例は多い。


ここ10年ぐらい、ヨーロッパのアート市場で、あのル・コルビュジエのインドでの都市計画プロジェクト・チャンディーガルの為にデザインされた家具が多く流入してきているのを多く見かける。


聞くところによると、建物の内装一新の為すべて破棄されていた家具群を、フランスのディーラーが運よく聞きつけ、持ち帰ってきたものだそう。運が悪ければ、今頃すべては灰になっていたに違いない。


もう少し詳しく知りたければ→
記事 


たかが学校の家具。コルビュジエの関わったものに比べれば、知名度は雲泥の差。しかし、創立1911年の九州大学は旧帝大の一つ。


1911年と言えば、まだ明治時代。日本の洋家具製作の歴史で言えばまだ、黎明期にあたる時代。


その頃から残る家具も含まれるこの家具群を、灰にしてしまうのは実にもったいないだけでなく、こうやって今の物質文化の風潮を少しずつ変えていかないと、どんどん自分で自分の首を絞めていくことになりかねない。


このプロジェクトで今、クラウドファンディングを募集しています。


目に見えない、何処に行くかわからない寄付をするより、こうやって目に見える形の寄付を私はしたい。


少しでも興味がある方は、下をクリックしてみてください。
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以上は救えなかった家具達。

(上記写真は九大什器保全活用プロジェクトの概要から転用です)






あー、もったいないと呟いてしまう、、、、、、。





 

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