漆器

2023/03/25

朱漆地花鳥螺鈿鳥型脚付円卓

朱漆地花鳥螺鈿鳥型足付円卓

Red And Gold Lacquered Table On A Triangular Griffon Stand

 

Table01

 

昨年ニューヨークで行われたオークションで出品されたテーブル。

 

江戸後期から明治初期にかけての輸出漆器について興味がる人ならば誰でも

知っているであろうテーブルである。黒地に青貝細工が一般的な中で、この

朱色はひときわ目を引く。

 

残念なことに、アメリカで行われたオークションである為、現地まで現物が

見に行けなかった。こうやって、次のオーナーに移りアンティーク市場から

またしばらく姿を消していく。

 

私が初めて、このテーブルの写真を見たのは2001年発行の「日本の美術」シ

リーズの第427号 海を渡った日本漆器II(18世紀・19世紀)の中である。

 

Top

 

1920年代までイギリス、スタフォードシャーの大客間にあったとされる。

中央部の黒塗りは、あとから加飾されたもの。花瓶か何かを中央に置いて

置いたために湿気による損傷でもあったのだろう。

 

さらに興味深いのは、この変わった脚の形状が、安政三年(1856年)に編纂

された「青貝蒔絵雛形控」の中に出て来る雛形にかなり酷似しているという

である。

 

Dsc00311

 

その中で、このテーブルが持渡木地と呼ばれる、日本産ではない他所から

持って来られたものであると記述されている。輸出漆器用の日本産の木地

はほぼ間違いなくヒノキ材で作られているので、この木地が何材かがわかれば

この木地がどこで作られたかが特定出来そうである。

 

可能性があるのはインド製か、清の広東製だが、テーブルのデザインがフラン

ス源流から来ているのを考えると恐らくは広東製でではないかと思われる。

 

日本製の輸出漆器の名著である「Japanese Export Lacquer」の中にも

このテーブル、勿論掲載されているのだが、そこには一番上のタイトルにある

に三角形のグルフォンの台座のテーブルとされている。

 

もともとのデザインの原型は、19世紀初頭ナポレオン下のアンピール様式

時代のもの。アンピール様式は、フランスの新しい時代の様式故に、金彩など

の派手な感じでナポレオンのエジプト遠征に触発されたスフィンクス像や、グ

リフィン、イルカや白鳥、ライオンの脚などが特徴的な意匠としてよく見られる。

 

Table03

 

ここで、疑問が湧くのがこの台座の鳥??

これは果たしてグリフォンなのだろうかということ。

 

グリフォンは鷲の上半身にライオンの下半身の伝説上の生物。テーブルの

彫刻、上は鷲に見えないこともないが下は人間の様である。

 

Griffon

 

個人的には、これはグリフォンよりは白鳥からインスパイアされた物で

はないかと思う。

 

Centre-table

 

上は、同時期のマホガニー製のテーブル。

 

発注者の頭にあったのは、マホガニーに鍍金された白鳥の彫刻のついた

テーブルだったのではないだろうか。そうすると、このテーブルが朱色

なのもなんとなく納得がいく。他の同時期の輸出漆器と毛色が違いのも

これが特注品であるゆえだろう。

 

 

 

 

2021/08/01

大丸飯臺修復プロジェクト その4

Project 'Large Round-Top Dining Table' #4

 

Top-picture

 

支柱部の続編。

 

上側の丸棒を見てみる。

 

Dsc09520

 

天板部の下側の穴を貫く丸棒。

 

どうやら交換された物である。桧ではなく、南洋材のような堅木が使われて

いる。天板部をこの棒に落とし込み、引き出しを抜いて、楔をうって、天板

部がガタガタしないようにする。

 

しかし、丸棒であることから、中華街の丸テーブルの様に天板部が回るよう

になっている。

 

天板部を支える台座の部分は平板を二枚、木目が交差するように取り付けら

れている。

 

現状では、収縮の為割れが入り、膠が効いていないようで、上からネジで固

定されている。

 

Dsc09577

 

ネジを取り除き、一枚目を外す。

 

丸棒の下が、四角削られており、下の支柱部に差し込まれている。

 

材は、もちろん桧。本来は膠のみで固定されている。

 

Dsc09578

 

ひび割れていた台座下部を丁寧に接合。

 

Dsc09581

 

その上に上部の板が、木目を互い違いにして接着される。

 

 

支柱部下の切られてしまった角棒。

 

Dsc09531

 

切られた跡が見える。白っぽいのが後の修理で切られた切り口で、真ん中の

濃い部分は、オリジナルの楔が入る四角い穴の一部。

 

Dsc09071

 

本来は、脚部のプラットフォーム部分を角棒が貫き、下側で楔によって固定さ

れているはず。

 

Dsc09600

 

なるべく、オリジナルの桧部分を残しつつ角棒を延長する。

 

Dsc09595

 

プラットフォーム部分の下側で、上の様に留まる。

 

支柱部の芯であるこの角棒、恐らく二五角と言われる2寸5分の約75mmの物。

すっかり痩せて、70mm少ししかない。暖房が発達した現代の住宅では、材の

乾燥の度合いが酷く、かなり大きく収縮する。

 

 

その5に続く。

 

 

2021/07/18

大丸飯臺修復プロジェクト その3

Project 'Large Round-Top Dining Table' #3

 

H19555l235513073_original_20210718142201

 

デザインの概要はこの辺にして実際の修復に入ってみる。

 

船で運ぶようにデザインされたテーブル。現代のイケアのフラットパック家具

の様に、3分割に出来る構造になっている。引き出し、幕板を含む天板部。ス

テムと呼ばれる支柱部、そて平たいプラットフォーム部分と怪獣脚の脚部。

 

まずは、支柱部を見てみよう。

 

Dsc09505

 

支柱部が上下に、天板部、脚部を貫き、楔で固定する形式。

 

下側は、残念なことに脚部を貫く支柱からのほぞの部分が途中で切られてしま

っていて、下からべニア板をあてがいネジで固定されていた。

 

Dsc09506

 

一番下に4つのネジ穴が見える。

 

一番下の四角い台部は、ほぞに貫通してあるのみで、膠で接着はされていなか

った。

 

Dsc09507

 

すっぽッと抜けたとこに、墨での書付が見える。しっかり読めないのだが、前

とか後ろの類の物だと思う。

 

Dsc09518

 

角柱をベースに、材を張り付けることによって太くしてあるのが判る。

 

Dsc09510

 

四角い台の部分も、一番上に薄い板。右の方に縦に走る接合部が見える。

 

裏から見ると構造が一目瞭然。

 

Dsc09512

 

4つのパーツを組んで、平板を上に乗せこの台を作っている。

 

Dsc09513

 

桧材が縦方向に走る。糊を内側に使った後は見られない。

 

面白いのはこの膠。水分を与えると、そんなに時間もたたないのに、柔らかく

なる。この膠、見る限りオリジナルで使われた物のようなので、100年以上前

の物だとは思えない。こちらで使う膠、30年ぐらいすると結晶化(?)し、水分

を与えてもなかなか吸い込まず、除去するのに意外に苦労する。

 

Dsc09524

 

それに比べると、このあっさり除去できる膠は何者なのだろう。

 

以前日本では鹿膠が使われていたと聞いたことがあるが、それが牛膠とどれくら

い特性が違うのかは知らないので断定は出来ない。ただ、何か違う特性を持った

膠なのには間違いない。

 

その4に続く。

 

 

 

 

 

 

2021/05/09

壷型ナイフ入れ、再び

Japanese Export Lacquer Knife Urn Again!

 

2021_cks_19798_0112_000a_pair_of_nagasak

 

江戸後期に出島経由で輸出された輸出漆器。その中で特徴的な形を持つ物がいく

つか存在する。この英語ではナイフ・アーンもしくはカトラリー・アーンと呼ば

れる壷型ナイフ入れはその一つである。

 

この完全なイギリスのデザインの形を持つこの家具。ある一時期しか作られてい

ないため時代の特定には持ってこい。ここまで完全コピーの西洋の形を持つ輸出

漆器は珍しいのではないだろうか。

 

それ故に、オークションで出てきても、日本の美術品の中にはあまり範疇されず

普通のイギリスの家具やヨーロッパの家具のオークションに紛れ込んでいるため

見逃されやすい。

 

このペアも、ロンドンのクリスティーズの「The Collector」というタイトルの

セール中の一品。

 

このペアが新出の物なのか、過去に市場に出て来ているのか調べてみると、面白

いことを発見した。

 

神戸市立博物館研究紀要第19号に掲載されている岡泰正氏の「青貝細工壷型ナイ

フ入れに関する資料紹介」の中に、現ペアとほぼ同じと思われる写真が載って

る。キャプションによれば、1995年にクリスティーズ・ニューヨークで出た物

らしい。

 

2013_ny_christies

 

ところが、上のペアは2013年に同じくニューヨークのクリスティーズに出品され

たものだがカタログの解説に1995年にクリスティーズ・ニューヨークで出品され

た過去があるとの明記があり、どちらかが間違っているはず。

 

どちらがあっているにしろ、写真が残っている以上今回の現ペアは新出のものでは

ないということである。ただ、楕円横置きの風景画を持つ物はこれだけなので希少

という事は言える。

 

2021_cks_19798_0112_001a_pair_of_nagasak

 

金具は銅製。鍍銀が全部とれてしまっている。

 

オックスフォードのアッシュモーリアン博物館の故オリヴァー・インピィ氏の

衝撃的な発見「壷内の墨書き」によってこの出島経由の輸出漆器が長崎製では

なく、京都製ではないかと特定された。さらに、木地師の名前「清友」。

 

この墨書きが確認されたのは、インピィ氏の確認した個人蔵の物とアッシュモ

ーリアン博物館蔵の2点しか今の所聞いたことがない。

 

現ペアにはこの墨書きがあり、「日本」、「青貝」、「清友」の字が確認出来る。

是非にも日本に里帰りさせてあげたい一品である。

 

落札予想価格は、150万円から225万円。

 

壷型ナイフ入れについて→記事

 

クリスティーズのオンラインカタログ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021/03/28

大丸飯臺修復プロジェクト その2

Project ' Large Round-top Dining Table' #02

 

H19555l235513073_original_20210328124201

 

 

さて、その1の続きになるが、そのヘット・ロー宮殿にある大飯臺の天板。周りに

は、蒔絵で松葉をモチーフにした環状のデザインが天板外側に施されている。直に

見たことはないので、100%ではないが、他のテーブルでも使われている。

 

Dsc09078_20210328125401

 

このテーブルは、以前イギリスのディーラーが持っていたものだが、昨年ヨーク

シャーのオークションで落札されたもの。

 

Table11_20210328130201

Table-top

 

 

外側は同じでも、内側は、風景画ではなく、花鳥画が採用されている。庭の孔雀に

牡丹。どうも系統としては、ヘット・ロー宮殿の普通テーブル的である。緑の支柱

であり、その下の箱型の部分に金彩で縁取り。ただし、脚はボール・アンド・クロ

ウではなく怪獣脚。プロジェクトのテーブルとも同型である。

 

他には、同系統のテーブルはないかと探して見つけたのが次の2点。

 

190

193

 

ネット上で見つけた、あるディーラーが持っていた物か。大飯臺の様に見える。天板

のデザインは、状態が悪く、風景画か花鳥画かはっきりしない。支柱はヘット・ロー

宮殿普通テーブルの物に近似。ただし、脚は上のテーブルと同系怪獣脚である。

 

もう一点は、1999年にオークション大手のサザビーズで落札された物。

 

 

Lot-no-317a

 

高さを除けば、限りなくヘット・ロー宮殿普通テーブルに酷似している。カタログ

では、ビクトリア時代の物で黒檀仕上げとなっている。まだまだ、この手の出島経

由の輸出漆器が認識されていない頃。色はわからないが、同類の風景画に鳳凰の天

板のデザインから見て、同じ工房、同じ時期に作られたものとみて間違いない。

 

デザインに関して、財団法人三井文庫が所蔵している弘化2年の「青貝屋武右衛門

殿取替銀相談之覚 唐物方乍恐奉願上候工場口上之覚」に、脇荷物掛りのビツケル

が好んだデザイン(山水模様)が、新しく来たデルブラツトに花鳥草花に替えなきゃ

買わないと駄々をこねられ、泣く泣くやり直した、という記述がある。

 

弘化2年は1846年。この時を境に、天板のデザインが風景画から花鳥画に変わった

という事は十分にありうる。それと同様、支柱のデザイン、脚のデザインがクロス

オーバーしている。

 

そう考えると、このプロジェクトの大飯臺、1840年代の後半から50年代にかけて

作られたのではないかと推察される。

 

興味深いのは、色が塗られているように見える部分。色漆が使われているのか、もし

くは、この頃に使われていた乾性の桐油やえごま油に顔料を混ぜた物か。また、ヘッ

ト・ロー宮殿の大テーブルの様に、蝋色漆で塗られていた上から、ヨーロッパで塗装

が施されたという可能性も排除できない。

 

その3に続く

 

 

 

 

 

 

 

2021/03/14

大丸飯臺修復プロジェクト その1

Project 'Large Round-top Dining Table' #01

 

江戸時代後期の輸出漆器概論については→こちら

 

江戸時代後期の輸出漆器において、大型の丸飯臺(台の古い漢字)が、登場する

は比較的あとの事のようである。私が知る限り、天保7年(1836年)のオランダ側

の資料「納入者によってオランダ賃借人に引き渡された商品のリストに、記載

される青貝屋から3台、笹屋から3台が初めての物である。

その時に、サイズ明記の無いただの丸飯臺も3台づつ引き渡されているので、大

サイズと普通サイズの2種類あった事が判る。

 

公的なコレクションに存在し、知られているものは、オランダのヘット・ロー宮

殿に所蔵されている大一台、普通一台のみ。仮に、1836年から20年ほど毎年作

られて、出島から輸出されたとしても、240台のテーブル。そのくらいの数だと

すれば今では、実物になかなかお目にかかる機会は少ないだろう。

 

H19555l235513073_original

 

H19555l235513074

 

この飯臺は、スペイン・マドリッドのオークションに出た物。今回のプロジェ

クトの、主人公である。

 

決して、程度は良くない。が、輸出漆器の特徴をしっかり残しているのが判る。

 

まず、他の知られている飯臺と比較して年代を推察してみたいと思う。

見るべきポイントは3つ。

 

1.天板の青貝細工のデザイン

2.支柱のデザイン

3.脚のデザイン

 

 

一番基準になるのが、ヘット・ロー宮殿所蔵のの2台。

 

Dsc09527

Dsc09528

 

特に、上の写真の普通サイズの方は、オランダ・ハーグ生まれの画家H.F.C.テ

ン・ケイトが1849年に描いたウィレム3世のお妃ゾフィーの部屋の中に描写さ

れることから、それ以前にオランダ国内にあったことは間違いない。

 

Dsc09529

 

また、そのテーブルは、彼女の義理の祖父にあたるウィレム1世が、1838年

にハーグの日本物を扱う店から買った2つのテーブルのうちの1つではないか、

と推測されている。ゾフィーは1839年に、孫であるウィレム3世と結婚して

いるので、孫の嫁の為のプレゼントとすると辻褄が合うから。

 

素晴らしいのは、その当時の物と思われる色が判る事。

 

支柱部のパームの木を模した部分の緑色やその下の金彩と思われる部分は、今

の現存の物の色と比べると特に鮮やかである。

 

天板の青貝細工は風景画。

 

 

もう一点の物は、サイズ的に大丸飯臺だと思われる。

 

Dsc09095

Dsc09094

 

こちらも天板上は、風景画。ただし、支柱周りのデザインは違い、シンプル

な挽き物に下の部分はハアザミ(アカンサス)の葉の彫刻が施されている。葉

こそ緑で塗られているようだが、あとは蝋色漆で塗られているようだ。

 

その2に続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021/01/24

Circular Sweetmeat Box

砂糖菓子用の丸箱

 

「スイートミート」、聞きなれない言葉である。

甘い肉?

昔は、食べ物全般をミートと呼び、甘い食べ物、つまり砂糖菓子や砂糖漬けの

果物等を呼んだようだ。言葉としては、ほぼ絶滅種で、普段の生活で聞くこ

とはほとんどない。

 

Dsc09478

 

旅館に置いてある、湯飲みが入っている丸箱を想像させる。

基本蝋色漆に、金蒔絵、青貝細工の折枝模様がちりばめられている。

空白の使い方と言い、和のデザイン。

 

もともとは、清でヨーロッパ人が作らせた同型の物。それが、18世紀末頃に

清人、もしくはオランダ東インド会社の人間によって、出島経由で日本に持

ち込まれたと考えられる。

 

それが日本の職人によって模倣された。

 

Dsc09488 

 

蒔絵による加飾。

 

特筆すべきは、青貝細工による装飾。

 

Dsc09487

 

鳳凰。

 

18世紀後半から、幕末辺りまで出島経由で輸出されたササヤで作られた物に良く

られるデザイン。ササヤ製の銘が入ったものは、決して多くないが、2代に渡っ

て輸出漆器を手掛けたとされる。

 

デザイン的には19世紀初頭までの物に近い。

 

Dsc09492

 

蓋を開けると、仕切りがあり、陶製の9つの入れ子。

残念ながら、4つは欠損している。

入れ子の内側は、丸箱と同じように、黒い釉薬に金で折枝模様が描かれている。

 

Dsc09493

 

外側は、白い釉薬に花模様。素焼きはテラコッタ色。陶磁器は専門ではないので、

これがどこの物だかはわからないが、判ったら漆器の生産地が特定出来そうであ

る。底には、ここにも鳳凰が描かれている。

 

どうもこの形は、人気の商品だったらしく、アンティーク市場でよく見かけるが、

大概は清で作られた物。日本製で見かけるのは、大正、昭和初期の物か。

 

丸箱自体は桧製。かなりしっかり下地が塗られその上から蝋色漆。

 

 

日本の陶磁器のコレクターの方のブログで見かけた一品。

 

201804100307327e0

 

同じ、青貝細工でも、かなりヨーロッパ受けする大柄なデザインになっている。

奇麗な青の顔料が使われていることから1840年代以降の物ではないかと思わ

れる。

 

201804100309009a0

 

中は7つに分かれている。仕切りはない。

入れ子の裏には、蔵春亭三保造の銘が。

 

20180410030927c06

 

つまり、有田焼の陶器が使われている。この銘が使われたのが、1840年代から

70年代という事を考えれば、かなり長い間、同じデザインでこのタイプが、作

り続けられてきた事が判る。

 

このタイプは、まだ多くは確認されていないようで、さらなる作例が発見され、

比較することによって、また何かが判るかもしれない。

 

Dsc09479

 

漆器を撮るのは本当に難しい。誰か言い撮り方教えてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

2020/12/20

江戸後期の輸出漆器の現在地

江戸後期の輸出漆器研究の現在地

 

本当に、ここ一年の世界の変わりようには目を見張る。

アートの世界も例外ではない。

変わったことによって、悪い事ばかりではなく、良いことも産み出された。

 

オークションと言えば、現地へ行って、下見会で現物を確認し、オークシ

ョンで入札する。勿論、高価な物に対してはは、このプロセスは尊重される。

 

先日、ロンドンの某オークションに行ったとき、顧客が、下見会が無くて

現物が見られないなんて信じられない、狂ってる、と不満を呟くのを見た。

 

しかし、この状況下で、人の物を欲しがる欲望は収まるどころか、ますます

大きくなったようで、オンラインのオークションは盛況である。

 

大手のオークション・ポータル・サイトでは、世界中のオークションで、ど

んな物が出品されるか、つぶさに見ることが出来る。そのポータル・サイト

に登録し、自分の欲しい物のキーワードを入れておけば、関連のある物が

出品した際、メールで教えてくれてさえする。

 

江戸後期の出島経由で輸出された漆器達。純粋な日本製であるのだが、西洋

の形を持つハイブリッド。それ故に、業界では、中途半端な立ち位置で、日

本美術に入るかと言えば、そうでもない。むしろ、一般のアンティークとい

うカテゴリーの中にポツンと佇んでいたりすることが多い。

 

清で作られた物に比べて、圧倒的に数が少ないせいもある。清製と間違った

表記で売られている事もままある。

 

日本で作られた物なのに、輸出用である故、本国には物がほとんど残って

いない。南蛮漆器、紅毛漆器と並び、現物を持っている海外に研究で先行さ

れてきた。日本国内に存在する文書も、海外に残る文書と比較して初めて

真実として力を持つ。

 

やはりアートの世界も、研究はある意味何処でも出来るが、最終的には現物

を持っているものが一番強い。出島に唯一来れた外国人、オランダ東インド

会社の面々が持ち帰った物。そのインド会社に雇われたアメリカの船が持

ち帰った物。そんなもの達が、オランダやアメリカの博物館に残る。

 

基本的にはマーケットにほとんどで出来ないレアものであるから、博物館に

収蔵されて、日の当たっている物達が基準作品になるのは否めない。しかし、

丁寧に見ていくと、その基準作品が一点ものではないという事に気付く。

 

Table11_20201220162401

 

夏に、ブログで書いた丸テーブル。基準作品としてヘット・ロー宮殿博物館

2点しか存在しない。が、先日も、スペインのオークションで出品された。

だまだ、ある所にはあるものである。

 

Table

 

ロックダウン中の時に見つけた、ドレッシイング・キャビネット。アメリカ

のピーボディ・エセックス博物館と同系型。これは、見に行けないまま売れ

てしまい、何処に行ったか不明。7000ポンドの値札がついていた。

 

Whole

 

数年前のフランスのオークションで出品されたもの。オランダの博物館に残る

2点以外は知られていない。2点ともササヤの銘があり、海戦図が描かれている。

このペアで出品されたこのキャビネットもササヤの銘があるが、デザインは、

和的な物になっている。あっちは特注品、こっちはスタンダードなのだろうか。

(オリビアという名が入っているが)これも、誰が落札したかは不明である。

 

Escucheon

 

市場に、ちらっと顔を出しては消えていく。そんなもの達を、ある程度オンラ

インのポータル・サイト等を使って追跡できれば、もっともっと色々なことが

判りそうである。

 

最近の研究では、オランダのクゥーン女史の東インド会社のフリーメイソンの

で使われた輸出漆器について。日本では、石田女史の東インド会社(国有会社)

の脇荷貿易についての研究が、さらに大きく進む事を期待している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020/08/09

Japanese Export Lacquer Centre Table

日本製輸出向け漆塗りセンター・テーブル

 

ここ何年か、18世紀以降の日本で作られた西洋の形を持つ輸出漆器

が、初出の物も含め、多く散見される。丁度、コレクターの代替わ

りにあたるのだろうか。

 

この江戸後期の和と西洋の融合された形に、その当時の職人達の

デザインに対する変化が見て取れて、とても面白い。従順に真似

をしていた最初の頃から、次第に日本独自のアイデアが加味され

ていく。明治期には、それが他の工芸品と共に、多く輸出される

こととなる。

 

来週末(8月15日)のオークションに出展されるテーブル。

 

Table11

 

円のセンター・テーブル。

蝋色漆に、金蒔絵と青貝細工。

何故か、脚にはワニ、もしくは怪獣の爪。

 

Table12

 

伏彩色の青貝細工。番いの孔雀。折り枝模様。

 

この時期の輸出漆器で家具のような大型の物はあまり残っていない

感じがする。このテーブルの形、インペイ、ヨルグ氏の共著

「Japanese Export Lacquer」を見ても二例しか存在しない。

 

Dsc09022

 

両方とも、オランダのヘット・ロー宮殿博物館に所蔵されるもの。

脚先が3つの物、4つの物があるのだが、上の3つの物は1849年の

書類に記載されており、1840年代に宮殿に来た事が判る。

もう一つの4つ脚先も1852年の宮殿の調度品リストに記載されて

いる。

 

若干、真ん中のコラムのデザインが違うが天板、脚とも一番上の

テーブルに酷似する。

 

どうも、いくつかのデザイン違いが確認されているこのタイプの

センター・テーブル。昔のアーカイブを追っていくと似ている

テーブルに辿り着いた。

 

Anexceptional

 

5年ほど前にロンドンのアンティーク・ディーラーが持っていたも

の。現物を確認はしていないので、100%とは言えないが、恐ら

くは同一の物。

 

このディーラーの説明書きによると、ドイツのマリエンブルク城所

蔵だったもので、2005年にサザビーズでオークションにかけられた。

マリエンブルク城はドイツ・ハノーファー王家の最後の国王ゲオル

ク五世が、1857年の王妃の誕生日にプレゼントしたもの。そこの、

調度品リストにあったとすれば、1850年代前半に製作された可能性

が高い。

 

1840年代から50年代にかけて、恐らく同じ工房が手掛けたテーブル

群という事になる。

 

面白いのは、今回のオークション・ハウスのカタログには、中国製と

記載されている事。ディーラーから買った当人はな亡くなり、この奇抜

なデザインのテーブルをオークションに持ち込んだ何も知らない親族。

それ故に、中国製にされてしまったか。

 

日本の博物館には例がないこの形。

 

是非、日本に里帰りして欲しいなあと切に願う。

(もしくは、自腹を切るかだが、、、、。)

 

 

 

 

 

 

 

 

2020/06/17

Qing Lacquer Needlework Table part2

清製の黒漆塗りニードルワーク用の作業テーブル その2

 

Dsc08751

 

個人的には、いまだに謎なのだが清製の家具はどんな接着剤を使っ

いたのだろうか。日本では、漆そのものや、鹿革から取った膠な

んかが使われていたことが知られている。漆を使う国として、漆を

主に使っていたのかもしれない。

 

Dsc08758

 

この作業机、上の天板の部分は後ろ側の蝶番で開くようになってい

る。蝶番は、ネジで固定。古くからのイギリスとの付き合いで自国

でネジを作れるようになったのだろう。日本の物は、明治時代に入

ってしばらくまでネジではなく釘が使われている。

 

Dsc08750

 

蝶番は真鍮製。2枚重ねで溶接されて、開いた状態で止まるストップ・

ヒンジが使われている。かなり厚めで質実剛健に見える。

 

Dsc08618

 

上の箱の部分と脚部は実はネジで固定されていたりする。輸送を、

念頭にデザインされたのだろうか。従軍家具的な発想である。貫

の部分も、もともとはただほぞを差し込み釘で止めてあっただけ

かもしれない。

 

Dsc08723

 

上の箱部の裏側。ペアのマッチングの為に書かれた「元一」の文

字が見える。やはり漢字の国。ほぞを差し込み、4つのネジで脚

部を留める。

 

Dsc08722

 

蝶ネジの様に、スクリュードライバーを使わずに締めれることが考

慮されている。これも真鍮製。

 

Dsc08619

 

挽き物の部分にほぞが切ってあり、下の脚部に差し込む。ほぞがか

なり突き出しているのが見える。

 

Dsc08742

 

そこに対して横から釘を打ち抜けないようになっている。当然な

がら机を横から見るとこのほぞが見えてしまう。

 

Dsc08761

Dsc08762 

 

構造的に、見ても意匠的に見ても、日本製の漆器との関連性は明白で

ある。この後、この地域で力を持ったイギリスが数でも大量に清製の

漆器群を産み出していく。現在のアンティーク市場を見ても、その

残る数は圧倒的。

 

この時代の、清の輸出漆器も包括的に研究して欲しいものである。

 

 

 

 

 

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